■ 台高・薊岳〜明神平
・・・・2010年09月11日
2010.9.13

川の水量は少なめで、午後の夕立による降雨も殆ど無い事がわかる。貯木場から20分、数年前まで住民が居た家屋は、すっかり人の気配がなくなって乾いていた。直ぐ後ろに男女二人のバーティーがつき、笹野神社の脇を抜け、民家への道を抜けても着いてくる。杉林が延々と続く林道に入り、僅かな風も届かなくなった。

塩ビの配管の取り付けられた谷川には、既に水は全く無く、噴出する塩辛い汗を流す何もない。林道から山道に変わる地点で小休止、下から黙々と歩く男性が一人。その眼中には道の凹凸以外は映っていないらしく、ぶつかる寸前に声を掛けると驚いて顔を挙げた。その顔から滴る汗もまた尋常ではない。下を見ると、連れの女性がぼちぼち登ってくる。

男性はまた山道を、脇目も振らず登っていく。山道に入ると多少は歩き安く、露出した杉の根っこに足を乗せると安定して足を進める事が出来る。どこまで先行するものかと先に目をやると、案外近いところに腰を降ろして連れの到着を待っている。先に行かせて貰って、まずは大鏡池を目指すとしよう。

薊岳を夏場に歩くのは初めてで、雪の季節以外には来た事がない。大体この辺りからは林床にある雪の所為で森が明るい。山作業の枝を打つ音、チェーンソーの音が木魂し、焚き火の煙の匂いが鼻を衝いたものだ。今日のところはそんな気配はまるでなく、飛ぶ鳥の囁きも聞こえない。大鏡池はまだかいな、丘陵を越えても九十九折れの道を何度越えても、がっかりさせる尾根の明かりだけである。

鏡池ではないけども、明るい尾根で大休止、吹く風が気持ちよい。叩くと大量の胞子を飛ばすヒカゲノカズラで遊ぶ男性を、後続の女性が叱りながら、やや速度を落として抜き去っていかれた。重い腰をやっとこさ上げて歩き出した大鏡池までの道程、これほど辛い行程を思い出せない。吐き気はするわ、わき腹は痛いわ、そのうち頭痛も萌してきた。

大鏡池は水の無い、明るい穴ぼこに換わっていた。底には新しい小さな祠も出来て、古い雨乞いの名残を今に伝えている。今時これは珍しい。またまた大休止、冷たいゼリーを貪り食って、やや冷たさも感じられる風の中でボンヤリと時を過ごす。なかなかに好いものだ。薊のピークは直ぐ傍の筈なのに、尾根からはずっと遠くの高みに聳えている。こんな筈ではなかったような・・。

多少回復してきた身体に鞭打って、岩場の出てきた痩せ尾根を4つばかり、やっと薊岳のピークである。先ほどまで聞こえていた声の主の姿は何処にもない。軽い昼食を摂って明神平に向かった。これがまた、不用意に下っているので、前山の手前は登り返すことになる。とはいえ、今日二つ目のゼリーの旨かったこと、かなりの体力を回復したのだ。

そろそろ出そうな秋の味覚、見上げると葉の形が違うではないか。ミズナラではなくてメイゲツカエデの幹である。前山には余力を残して辿りつき、風に吹かれて、イワヒメワラビの草原に一つ張られた青いテントを見下ろしつつ休息。テントの主の姿は見えず、何処かへお出かけの様である。羨ましい。

山荘前の東屋の傍にも、何処にも人影は無い。テント場に最適な地表には、柔らかな夏草が風に吹かれてそよいでいた。次は冷たい水の湧く水場がある。冷たい水はさぞ旨かろう、と思いきや、水はちょろちょろ、心細い流れを止めるのみ。汗を流すには足りない、喉を潤すのがやっとである。

少し下ると人影を捕らえた。ゆっくり歩くお爺さんである。特に急ぐ必要もなし、併せてゆっくり下っていると、大きなザックを背負ったお兄さんが一人、真っ赤な顔で苦しそう。更にしたから軽そうなザックの男女二人。事前に何事があったやら、えらい荷物の違いである。お爺さんに先を譲ってもらって林道へ。

林道から、水の少ない沢に下り、足を水につけたときの衝撃的な冷たさといったら、髪の毛が逆立つ程であった。風呂などは罰則でも遣れるものではない。御蔭で両足が軽くなり、途中でお爺さんに拾って貰って貯木場。この間にもちょっとしたハプニングもあったのだが、結果は皆さん無事でなにより。


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