堀越峠から先の林道にはところどころ凍てついた雪が残る。気温は僅かに零度を超えたばかり、汗をかくほどでもないので風を受けると寒い。林道脇の薄暗い杉の林の中は不法投棄のゴミが目立つ。旺盛な夏草が隠してしまうまで、人の悪意や何かが都市よりも更に露骨に見えて薄気味がわるい。温かくなり花が咲き、山菜等が芽を出すと、それなりに人が訪れるところである。
峠から南に林道を進み、うっすら汗をかいた所で西に折れる林道に乗る。ホオジロの番が枯れ草の傍の地面にいた。4月には巣が出来るはずである。尾根を越えると能勢の集落に向かって道はゆっくり下降する。暫く谷川に沿って下ると東屋がある。名前があったようだが失念した。新しい立派な東屋の前には、右からの谷川の水も合わせたため池があり、土手の上に吹く風は大分温かい。
遠くに聞こえた犬の声の群れが近づく。飼い主に捨てられた犬、虐待されていた犬、などの保護施設で、休みの度に、新たな飼い主候補を迎えるらしい。下るにつれ、傍の空き地に車が増えた。左下に保護施設がある。放し飼いにされた犬、ケージの中で吼える犬で相当に煩い。二匹の犬がネット越しに吠え掛かかる。正面には小さな白い犬を散歩させる女性がいた。
能勢・野間中への展望が開け、農作業の人もちらほら見える長閑な田園が続く。暗い植林地を蛇行する道を下ると家並の中に入った。用水の傍の土手にはフキノトウが大きくなり、集落側の明るい土手にはオオイヌノフグリに加え今にも咲きそうなヒメオドリコソウの蕾。畑の手前にある梅ノ木も僅かに開いた花があった。流れてきた匂いを辿れば庭先で落ち葉を燃やすおばさん。
長閑な散策を破るR477を行きかう車。道の両側に連なる建物には趣があって面白い。警察署の前には何故か狸の置物。明治中期の建物や造り酒屋もあって楽しめる。ところが時折とおる大形のトラックが恐ろしい。カーブから道一杯を走行してくる車には歩行者は見えず、これも恐ろしい。少し歩くと城跡があった。
「地黄城址」と書いてある。このあたりは地黄と云うらしい。既に城郭のあった場所には学校が建ち、石垣ばかりが名残であるが、小さいながら立派な城であった事が伺える。戦国に創建され明治の廃藩置県で今の姿になったらしい。石垣を接して隣の民家の納屋があった。今、大手門傍の石垣は納屋の壁の一部でもあった。
城跡を過ぎたところに妙見奥の院への大きな看板があった。城跡に立つ立派な学校に沿って道を登ると閑静なお寺があった。門の先に新しい朱塗りの本堂があり、綺麗な庭があった。岩を配し潅木を配した庭から下の庫裏まで二本の小道がある。中々に味わい深い趣向である。住職の顔が見てみたい。山を背に、ちょっと情けない顔の仏像がある。まさかこの顔ではあるまい。
お寺を出て坂道を少し登るとまた怪しげな建屋があった。駐車場には他府県の車が多い。七面大天母堂とある。名前からしていかにも怪しい。大きな伽藍らしいものはなく、こじんまりとした東屋風なお堂が点々と谷川に沿ってある。参拝中のおばさんが二人。谷川の中には風呂らしい建物もあり、外には二人分ばかりの荷物や衣服が置いてある。
道に沿い目くら板があるので中は見えない。もう少し背伸びをしたら見えそうで、確かに人の動く姿があった。これ以上は痴漢になるので控えよう。綺麗に掃き清められた道は谷川から離れ、斜面にそってうねうね登っていく。尾根近くになると汗が吹き出た。松林が尽きたところから能勢・野間の郷が一望できた。今日一番の景観である。
大きなアカガシが茂る暗い道を抜けると妙見奥の院に出た。新しく増築した部屋から木魚の音と「南無妙法蓮華経」の声が響く。数人の人を後ろに控え、お坊さんが読経の最中であった。意味を分かっているのか分からんのか、神通力があるのか無いのかよくは知らんが、じっと堪えて読経を聴き、それで浮世が楽になるなら非常食の黒砂糖を提供しよう。
奥の院を下って始めの林道に戻った。雪はまだ硬く、気温もそれほど上がっていない。
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