■ 京都北山・小野村割岳
・・・・2010年05月22日
2010.5.24

広河原は随分遠い、台高辺りへいくより遠くへ来たような感じである。狭い谷川の周辺の、少し広めの路肩の直ぐ傍に、小さな民家が軒を連ねている。久多辺りとはまた違う、上流部の広河原辺りとも幾分違う可愛らしい家が多いように見受ける。狭小な道の次には広い、綺麗な道があって、重量のある車が少ないと見え、際立つほどに白い。

能見出合いを過ぎると直ぐ下の町、バス停奥の広場に車を止めた。ここは火祭りが行われるところで、川を挟んで当日の主役である長い杭が、今は横たわっている。天気は上々、大阪に掛かっていたガスもまるでなく、真っ青な空とやや暑過ぎる陽射しの中、林道横の民家の庭に青いオダマキの花、谷川の土手には、日本の風景にはやや派手すぎるくらいのクリンソウの小群落が盛りである。

直ぐ上の砂防ダムの中では、何時でもカワセミの姿があったのだが、残念ながら今日はない。代わりであったかどうだか、道横の小石の上に、2年生位のシマヘビが、ながながと伸びて日光浴の最中である。マムシ程ではないにせよ、やっぱり顔に凶暴な様子を浮かべて他を威嚇する。この顔が、喜びに崩れる様を説明しても、余人には恐らく分かるまい。野生のヘビの、吊り目が下がり目に変わるのである。

杉の木の陰はゲートまで続き、やや熱を帯びた風でも随分歩きやすい。ゲートからは登り勾配があって、さらに陽射しは直接に来る。だるい身体を引きずって、だらだらだらだら割れ石の道を登ると、探せども探せども何処にもなかったタラの木を発見。どなたかも同じように戴いたと見え、足跡などが残っている。申し訳ない心持もありながら、柔らかい成長点あたりを少し収穫。

林道終点から谷川の奥へ続く道を進んでトラロープさえあるちょっとした斜面を進むと直に小野村のピークに着いた。ここで終わると、単に林道を歩いた事になるので、尾根を西へ進んでみる。前方から鈴の音がして単独の男性が一人、他に人の気配は無い。数年前は、拾うべき踏み跡も無かったのだが、今では拾わなくても外れることも無さそうだ。広河原バス停裏に下る尾根への道しるべも確りしたものがたっている。

それにしても淡い黄緑の他には僅かにウワミズザクラが少しだけ、まだ旨そうなコシアブラの葉を探しながら、焼け焦げた杉の木の前まできた。これが有名な雷杉かも知れない、木を取り巻くように踏み跡があることから見ても間違い無さそうだ。そして木はまだ生きている。

植物の細胞は全て万能細胞であるし、生死も世代も我々のようではないのだから、観ずるに自ずと異なる世界観が生まれそうだ。

杉から先は良く踏まれた道ばかりで、迷うようなヤブコギはどこにも無い。多少のアップダウンを繰り返すとササリ峠と須後方面への分岐になる。不思議なことに、小野村方面から来た人には須後への道標は見えないような事になる。振り返って初めて分かるのである。ここには多数の今日の踏み跡があった。谷を見下ろす歩きやすい道が続き、車一台が止ったササリ峠についた。

ここからが問題、オバナ谷に降りれば後は早い、3〜40分で広河原、車道を歩くと1時間では足りないだろう。普通なら間違いなく谷を行く、しかしこの時期からは湿っぽい谷は恐ろしい、ヤマビルが徘徊する時期に差し掛かったばかりである。迷う心も無いわけでは無いが、あっさりと車道を歩くことにして、散り始めた花びらを纏ったヤエザクラの道をとろとろ。

期待した、どうぞ乗りませんか、との遭遇もないままに、何処かで聞いたような名前の茶店のまえ。クリンソウの花が所々に咲く川面を見つめ、やっとこさ車に辿りついたのである。



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