■ 若狭・頭巾山
・・・・2010年05月16日
2010.5.17

頭巾山は京都府下にありながら、福井県境にあり、北山とすべきか若狭とすべきか迷うところである。尾根からは若狭の海に浮かぶ小島のいちいちまで望見できるのだから、ここでは若狭の山としておく。福居の集落には陽射しが溢れ、まことに伸びやかな、こじんまりした平和な田園風景が開けていた。

水を引いたばかりの田圃には機械が唸りを上げ、アスファルトの路面には轍の形に土が残っている。谷が分かれるところに、大きな山の案内板と駐車場が出来ていた。彼方此方勝手に駐車するハイカーに難儀してのことか、昨今の山ブームに合わせた配慮なのか、良くは分からんが、ここに車を置け、という事は良く分かるのである。

田圃から流れ込む泥水の影響で、谷川を流れる水には少し濁りがある。それも最奥の民家を過ぎると透明に変わった。川岸には手折られたワラビが、背丈だけは随分伸びて痛ましい姿である。その脇に生えた新芽は、今また新たな脅威に曝されて、僅かの間に綺麗さっぱり姿を消し、白いビニール袋の中に納まっているのである。

林道終点には錆び付いた索道の機器とロープがある。轍の無い路面にはニリンソウがはびこり始め、僅かに花もつけていた。川に下ると意外にも踏み跡がはっきりしている、歩く人が多いらしい。狭い谷に残る仙道は随分荒れ、傍若無人に倒れた杉の木が、かなり煩い。幸いにも葉がまだ十分に茂る前で、谷川にも陽射しが溢れて明るい。

目の前に滝の巻き道が顕れ、古い補助ロープが出てきた、信用できない人工物ほど恐ろしいものはない。潅木の幹を頼んで上流側に降りると、目の前に唯一の滝がある。左の岩場に古いロープ、更に左には登れる程度のガレ場も出来ていた。滝は勾配、高さともなく、右手からも、正面からも登れないことはない。

左の岩場を越えて上に出ると、それまでの自然林はまるで無い。両側に杉の林があって、谷底には倒木ばかりが目立つようになる。倒木のためにあっちへウロウロ、こっちへウロウロするばかりである。それでも陽射しは清冽な谷の流れに反射して、眩しいくらいに明るい。

二股に分かれるところで右手の尾根に踏み跡がある。かなり厳しい登り斜面が続き、嘗ての名残はどこにあるやら、杉林の中に埋もれてしまったか、正面の尾根が見えるあたりで、やっと山腹を横切るような道になった。林床には小さな花を沢山つけたイワカガミが満開である。大きなイワカガミはどうもエイリアンを思わす異様さがあるのだが、このくらい小さいとそれもない。

やっと頭巾山東側の鞍部に付いた、抜ける風が冷たくて気持ちが良い。「心臓破り」と形容された坂道を上り詰めると、北山から若狭への展望が開け、今日は寒気であるだけにガスも少なくて鮮明な景色が広がる。名田庄へと下る谷間には、萌黄色と深緑の絨毯である。南にやや群を抜いて高い山塊は地蔵山・愛宕山に違いない。

日本海には島が浮かび、波も静かで、まことに風光明媚を絵に描いたようである。頭巾山山頂には、既に3人おられて話に余念がない。そこへ名田庄側から鈴を付けた二人が登ってこられた。少し戻った日陰で昼食、山頂は賑やかである。旨そうなコシアブラの新芽が彼方此方にある。食後、少し頂くために木に登った、御蔭で未だに股が痛い。

目の前の尾根で見たクマタカの姿は終に無い。長い尾根を、横尾峠へ向けて歩いたが、やっぱり花は少ない。しかし鳥は多くて、ジュウイチの声は今年初めてである。横尾峠から南に転進、少し歩くと、イワカガミが林床を覆うブナの林にでる。ここを下ると切り開かれた山腹を縫って、サンショウウオの棲む谷川にでる。

今日は真っ直ぐ尾根を下る、古い街道を歩く。煩い潅木や、半ば枯れてしまった笹の類は綺麗に刈り込まれ、どうぞ歩いてください、といって頂いているものを、無視する訳にもいかないのである。眠気さえ萌してくるふわふわの道をだらだら下ると、最上流にある住宅の前へ抜けた。

古い石の案内標識には、「右おくやまへ、左わかさへ」と記してある。日が随分長くなり、まだ、耕運機のエンジンは谷に響き渡っていた。


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