木屋谷川に沿った林道をゆっくりと走行中、目の前に、まだ乳臭さの残る、まるまる肥えたカモシカの子供が飛び出した。更に減速した車の前を、かならずしも確りした足取りとは云えない子供のカモシカと、暫く併走するような事になった。
山側に逃げるには土手は高く、飛び出した川原の中に消えていった、もう少し一緒でも良かったような。
道に散乱する割れ石が怖い、まだ十分な距離を残して車を止め、残りは歩いて登山口まで歩こう。道横の、日当たりの良い岩の傍にはスミレ、ヤマルリソウ、ミツバツツジが花をつけている。山家を利用した千秋社事務所下のカーブ手前にも一台。舗装が切れて暫く、急峻な谷側からカラカラと小石を叩く音がする。
もしや、と下の方を覗き込むと、やっぱりそこにカモシカがいた。今度のは幾らか年取った風情の固体である。じっと此方を伺いながら様子を伺う姿にも、どことなく知的なところが見て取れる。動きに併せて首だけは動かしながら、四肢は微動だにしない。カーブを曲がると見えなくなった。
ダムの取水口を過ぎると水量が増え、何連か続く滝の迫力は、細かな振動となって伝わってくる。橋を渡ったところの山小屋付近はひっそりとして、僅かに雲間を零れる弱い日差しがあるだけでる。車のエンジン音で振り向くと、なんとタクシーが二台、後部座席で悠々自適のおっちゃん、おばちゃん達。結局タクシーは合計4台、凡そ15名程の団体さんが登山口に集合した。
道のでこぼこがある度に、腹を摺りながらゆっくり走るタクシーの運転手こそ災難である。皆さん、そんな事はお構いなし、何があっても動じないお年であるらしいのだ。混雑するマナコ谷登山口に一歩入るとなかなかに厳しい。忽ち静寂に飲み込まれ、響くのは谷川の音だけ、倒れた間伐材を乗り越えながら、額からは玉の汗が滴る。
厳しい斜面も暫く歩くと収まる。上手に作られた道の御蔭で楽々と歩ける程度に変わった。時々作業用の太い道なども利用し、快適な明るい杉林が続く。寒の戻りで降った雪の上に、何処までも誘導してくれる有難い鮮明な下りの足跡が一つ。背の低い檜の林を抜けると都笹がうっすらと山腹を覆うところに飛び出す。
直ぐ上に檜塚から奥峰の尾根があり、見えているから容易に近づけない。風も厳しく、寂しく残る切り株だけがあちらこちらに見られる。僅かに生えている低い樹木の枝には重そうな樹氷がある。ようやく尾根まで上がって後ろを振り向くと、元気な団体さんがやっと檜木を出たところだ。
奥峰からは雪が残り、雪面には昨日のものらしい一面の靴跡。ヒキウス平の北側も真っ白で、季節が幾分戻ったような光景があった。雪よりも、樹氷よりも温かさの欲しいところ、幾らか雪の深くなった林の中を明神岳へ。途中から山腹を横切り岩場や谷を横切って明神平を目指したのだが、普通に歩いたほうが余程楽であることに気がついた。
腹が減るので、林の中で昼食。風がやや強くなったようだと見ていると、雨か雪か、が降ってきた。残したばかりの足跡に、うっすらと雪が降る。
これ以上荒れては適わない、周回を放棄して引き返す。鞍部まで引き返したところで団体さんと遭遇した。にこやかな、晴れやかなお顔ばかり。よもや敗退とは云えず、明神岳でピストンだと云った。それでも感心されたのは、軟弱者だとでも。必ずしも当たらない訳ではないので止むをえない。
横殴りの雪で、目を開けて居られないほど、いよいよ本格的に降るだろうか、下ってから仰いだ空は完全に青空であった。
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