今日は早朝から蒸し暑い。台風のもたらす高温多湿の空気のお陰で、現地までは保てるはずのモチベーションは空模様と同じだ。朝食で飲んだアイスコーヒーでお腹の状態も芳しく無い。旺盛なイロハモミジの木陰に車を止めると石龕寺の毘沙門天が睨みつけている。この寺のご本尊は毘沙門天だと云うからきっとそうだと思うのだが、そんなに睨まれる言われはないから見ないようにするのが肝要だ。1台止まる車は先行者だろうか?、冷静に考えれば、このコンディションで岩山の低山歩きは奇特以外のなにものでもない。
蝉時雨の境内を歩いて左手の暗くて狭い谷間に巡視道が延びる。山ビルの脅威を感じる暇も無く、踏み跡は直ぐ急斜面の岩山に続いている。近頃掃除をしたばかりのようで、刈られたシダに未だ葉色が残る。開放させられた汗腺から一斉に汗が出る。風はまったく無い。斜度は厳しいながら距離は短い。鉄塔に到達した頃には雲間からお日様が覗く。風も寄こさないで何と無体な。太陽が眩しくてついルートを間違えた。見上げた岩場は超えられそうに無い。
太陽が一杯はアラン・ドロンの主演映画、訃報は昨日読んだ様な気がする。右下に巻き道があった。巻き道を登り日盛りの手前で小休止、締りの悪い水道の栓の如くに汗が落ちる。冷たい水を飲むと勢いが増し、加えて胃弱の原因だ。如何に試作品でも非道には声を挙げよう。抗議の声が有効であったかどうだか神のみぞ知るところだが、お陰でそよ風が吹く様になったのは幸いだ。
鎖場を登り崖に続く階段を登って、岩陰に転がるお宝を発見。錆びてかなり薄くはなっているが寛永通宝、言わずと知れた江戸期の通貨である。江戸期に登山のブームは聞かない。修験道の方が落とされたとしたら、下山後のうどんが消失したかも知れない。落語による江戸のうどんは15文だった。尾根に到着、汗は変わらず壊れた水道の栓状態。岩屋山目指して暫く歩くと件の車の男性が降って来た、若いのに偉い。山を越えて水を運んだ古い鉄パイプを跨ぐと岩屋山である。小さな祠は古城を偲ぶものだが同時にお山を偲ぶものだ。お山のピークは鉱山により、夢幻の彼方に消えてしまった。うっかり踏込むと確実に地獄に引き摺り込まれる。敬して近づかないのが良いだろう。
3段の堀切を超え、滑る急斜面を降ると鉱山跡である。そそり立つ白亜紀後期の岩壁のはざまに、半世紀前に鼓動を止めたトラック・ブルドーザーが眠る。ミヤマアカネが足元の枝に止まる静かな空間だ。お山の質量、重さが迫って来る。そして、暑い。壊れた蛇口は相変わらずで、立ちくらみが酷い。そよ風の抜ける木陰で小一時間、補給の水・エネルギーの効果が出始めた。遠くの雷鳴が聞こえて来た。狭い空に夏雲が立つ。直にこの上でも鳴りだすだろう。桑畑はないから恐ろしい。奥の院の鐘の音は、下界の皆様に聞こえたろうか?。
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