前回の一ノ瀬ビジターセンターは6月、広い駐車場に止まる車を散見する程度で、下界と一線を画した、時間のゆくっり過ぎる山の中であった。未だ7月も半ばの今日、如何に3連休と云いながら、もう少し遅れようものなら、センター手前の路肩駐車という混み具合、新型コロナの後遺症も、そろそろ終焉を迎えたものと思っていたからこれには大いに驚いた。
かなりお年を召したガードマンに、最後の空き地に誘導されて暫く立ち話、空きスペースがあって幸いの部類とのこと、6月は確かにお山の中の事であったが、7月はスーパーの駐車場と変わるところが無い。9時前という際どい時間である事は間違いないので、別当出合までバスで向かう皆様を他所に、先ずは猿壁登山口に向って急ぎ足。梅雨の雨と雪解けの水を集めた谷筋の流れを黙殺する訳にもいかず、砂防ダムを流れ落ちる様は見事な水のカーテンである。時間があれば降りてみたい。
水音の余韻とともに、潜り込んだ深い森の中は薄暗い。薄暗いだけなら辛抱もしよう、傍若無人に顔の周りをうろつく羽虫は多いに迷惑である。不貞な羽虫が跋扈するのみならず、山アジサイは見るものの、目を楽しませるべき玉アジサイは未だ蕾、これでは饗応の資格無し、とせざるを得ず、山中の望楼は夢のまた夢と云わざるを得ない。しかし気温は18℃ほどで、温度調整だけに限ればまずまず歩き易い。汗を拭きつつ見る白山に神々しさが無い。雪が消えると有り難みが薄れる。あそこを目指す人の群れを思うと気の毒である。
較べてチブリ尾根に人影はほぼ無い。まるで無いと言うことは、殿(しんがり)と言う事である。ここらあたりで無謀とも思える時間の無さが気になりだした。まあ、良いだろう。暗くなったらヘッデン着けて降れば良い。先ずはエネルギーの枯渇を補うべく、白山に開けたブナの根っこでバンを食べよう。早々と行って来られたおじいさんとおばあさんのアベックが降りて来られて、展望地である席を乗っ取るべく、ジワジワと攻めて来られる。迫るリミットに背を向ける事への無言の叱責と理解して、さあ行こう。
ゴゼンタチバナはほぼ丸坊主、キヌガサソウは枯葉色で、合わせて坊主の袈裟を表す。ダケカンバの巨木が尽きるとチブリ尾根を振り返るポイント、見下ろした樹林の海が素晴らしい。背後に別山から大屏風の広がる展望地である。ここからは暫くお花畑が続き、清楚な色のササユリは老いてなお美しい。居並ぶニッコウキスゲは無垢な黄金色、これをただに通りしぎては罪である。と言う訳で希少な時間は失われていった、あかんね。
小屋に到着、一服着けて歩き続けるも、鋭い頂角を空に向って突き上げる、御舎利山の前衛に差し掛かったところで14時30分、これを回ると帰りは確実に闇下、けっこう厳しいこのルートに、ヘッデン如きで大丈夫だろうか?。いやいや、君子の道は疎かにすべからず、と言う事で時間足らずで登頂を断念、入れ替わりに、小屋に入った単独の男性、今日は小屋泊まりと云うからちょっと悔しい。降りでは、お花畑を堪能した。降ったビジターセンターの車はやはりほぼ満車、これだけの人を飲込む余地は、お山の何処にあるんだろう。 |