石戸山目指して走行中、山並の中に、特異な構造を見せる山頂を発見した。佐渡の金山跡に似て、山頂部を綺麗に切取られた様に見える一角がそれである。戸石山の南側には鉱山跡がある。採集されたのは金とは程遠い壁材などと記憶していたが、ひょっとするともっと希少なものもあったのではないか?。良く似た稜線の所為で想像を逞しくしてしまった。が、結論を言ってしまうと大汗をかいただけで、課題は充分達成できたし、良いところを歩かせて貰った。
登山口である石龕寺には無料の大駐車場がある。石龕寺(せきがんじ)などと云うお寺は嘗て聞いた事もなかった。谷の奥であるにも拘らず、ここ迄の道もこの先にあるお寺への道もよく整備された片側1車線の道である。調べたところ、紅葉の時期には賑わうようで、閉鎖された売店は秋限定の営業らしい。前を流れる川床の水は綺麗で、緑の谷間の上方に、山頂部の欠けた岩屋山が聳えている。
左側の墓地を抜けると立派な山門がある。山門には2体の金剛力士像が立ち、鋭い眼光で見るものを威圧する。お寺の由来を読んだところ、由緒正しい古刹らしい。縁起書のある寺社に、由緒の正しくないものは見た事が無い。聖徳太子などが登場すると俄には信じ難い。足利氏の寺で信長の焼討で山門だけが残ったとあった。登山口は一番奥の本堂の右手にあった。
地図は見ていないが、確かにニルートの途が延びる。右手の山腹を降るハイカーの鈴の音が聞こえる。ならば、谷奥に続くルートを行こう、と防獣柵を開け、立派な階段を登り始めて気が付いた。踏み跡が少ない。立派に過ぎる茨の階段を過ぎると途が消えた。人か獣か不明な薄い踏み跡を辿ると岩壁に突当る。右へ行っても左へ行っても岩壁、人工らしき穴はあったがこの先は冒険だ。大人しく降って、右の山腹に続く奥の院へのルートを行こう。下手に歩くと危険なお山で有る事を学ばせて貰った。
険しい山腹に続く途は歩き易く、1時間ほど歩いて、岩壁を穿って建てられた鐘突堂着。石塔群の先に奥の院、足利将軍幽閉所跡と続き、何れも前後は岩壁である。集落への展望に優れた鐘突堂の鐘の音は、当然麓に良く響くはず。突いて良いらしいので突かせて頂きはしたが、瞬間移動はできないので、鐘の音については不詳である。
見学が済み再び山腹を登って鉄塔の立つ尾根道に到着。北へ歩くと例の山頂部の切割りに出た。高さにして凡そ60mほどの崖、降ったところが鉱山跡である。錆びた重機とトラックの放置された、案外に狭い、静まり帰る岩場の底は暑かった。夏くさや、の句が出てくるほども風流では無い。降った高度を登り返すと岩屋山である。嘗ては山城もあったようだが核心部は崖に消えてしまった。
石戸山は200mほど北のピークだ。今日はここ迄で良しとして、細い岩尾根をお寺に降ると周回が出来る。が、この岩尾根の斜度は半端では無い。この周回ルートは全て巡視道で、ここからはほぼ落ちる様に降って行く。岩場にはロープ・鎖の設置された場所もあり、踏み跡も少ない。面白いコースではあるが、登るにも厳しいルート、楽に降るなら奥の院ピストンをお勧めしたい。
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