■ 鈴鹿・霊仙 近江展望台を経て霊仙
・・・・2010年03月14日
2010.3.15

久しぶりに好天に恵まれた、早速鈴鹿の花を見に行こう。廃村今畑下の路上は満車の状態で、少し下がったカーブの途中に車を止めた。雪解けか降雨によるものか、増水した谷川からは盛んな水音が木霊する。そんな中、例年と同じく善男善女の行進は、細い泥濘の道を上へ上へと続くのである。

目の前を歩く二人と一人のパーティーは、R307を走行中から既に前を行っておられる方々である。寄り道することなく順番に登山道を歩くのである。といっても何か話しながらの事ではなく、運命にもてあそばれた結果でしかない。廃村今畑の建物、畑などは愈々荒む一方で、変わらぬのは共同の水場を流れる霊山の伏流水と平屋のお寺だけになった。

先を行く一体が潰れた廃屋の軒先を掠めて水平に道をとる。我々は登山道を忠実に辿り、噴出する汗をものともしたいところ、お互いに牽制があるらしく、黙々と尾根を目指して歩くのである。後方では、単に道を間違えたらしいざわめきが起こっていた。尾根に出てから妙齢のアベックが少し休息をとった。単独の男性は身も軽く、背中にピッケルを抱えて登って行く。

汗を拭き、ややもすると停まりたそうな足を叱咤しながら先を目指した。中にはお若い女性も混じり、霊山の人気の程が分かろうと云うものだ。急な尾根に穿たれた大きな溝は間違いなく人々がなした造詣に違いない。かくも大きく深い溝がどんな時間軸の中で出来上がっていったのか、まことに感慨深いものがある。横目で立ち止まった女性の顔を伺いながら、どうやら霊山が目の前一杯に広がるところまでは誤魔化してきた。

水平な道が続くので足取りも軽いし、第一人が見ている傍でよろめいてはいけない。笹峠を抜けて近江展望台への急登が始まる。急登に加え、広がった登山道の黒い泥が良く滑るので、這いつくばって登る人の背が、妙に地獄変を思わせるのは何時ものことだ。足を置く良く滑る石灰岩の岩角を嫌って低い潅木の中を歩くと、そこにはミスミソウの小さな花があった。花を踏みつけてもいけないし、足に絡まる潅木の歩きにくさ。

結局同じ、亡者の道を登る事になる。やっと勾配が緩んできて頭を上げると更に続く急斜面。近江展望台はその上にある。最後の気力、これは案外静かなもので、表面からも気持ちからも表情がなくなるだけである。霊山の西南尾根に乗ると、遠くに真っ白な高峰が浮かんでいる。それも一つ二つではなく東〜北〜西の比良山系までの山頂部が霞みの中に浮かんでいた。

雪が少しだけ残る竜の背に、なかなか黄金の煌めきが顕れない。南霊山あたりまで来たとき、南側斜面一体に散らばった、カメラを持った登山者の姿がある。なるほど小さな、まだ芽をだしたばかりの中に、陽射しを受けて虹彩を放つフクジュソウがまばらにある。昨年よりは2週間ほども早いので、こんなところかも知れないが、雪は殆ど姿を消した。

南霊山から北側の尾根に下ると、谷底には幾らか硬い雪も残っていて、靴跡もまばらに霊山三角点に続いていた。驚いた鹿が数頭、西側の無人の林に駆け込む。谷に下ると2頭の鹿の死骸があった。背の低い笹原を登った三角点には十数名の登山者が食事中である。最高峰にも同数ばかりの人影がある。北側斜面に雪が無く、遠景の巨大な白いパノラマを前にすると、まことに勿体無い感がある。

雪渓の上でお昼を食べ、少し寒い山頂を後にした。ホオジロの群れが彼方此方で囀っていて、中には目の前を這い回って逃げないものもある。登山道に出るとやはり泥濘。泥濘を避け冬道を下ったが何の効果もない。泥濘はその下からが厳しかった。泥濘地獄がやっと終わるあたりにミスミソウ、スハマソウの小さな花が道に沿って暫く続く。目を凝らして見ないと判別が不可能なほど小さい。

カメラマンが数名ほどもこの花を取り巻いて寛いでいる。廃村落合まで、前になり後ろになり、どうやら周回を終えて振り向くと、大きな山塊が集落を覗き込む様に覆いかぶさっていた。



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