■ 但馬・朝来山
・・・・2024年03月16日
2024.3.17

但馬へは、彼の有名な冒険家も登ったと云う蘇武岳、隣の妙見山、含まれるとすれば氷ノ山へは足を延ばした。地図を眺めていると養父・朝来周辺は完全な空白地帯で、低山徘徊派としてはもどかしい限り。それというのも彼の地は概ね山ビル占領地、山岳部はほぼ植林に覆われ昼尚暗い地域である。山を歩きに出掛けて出血サービスばかりを求められるのは面白い訳が無い。要するに、低山を徘徊する魅力が少なかった。

3月に入ってやや寒い日は続くものの、雪は少なく土曜日は小春日和、ピンクの雪割草を探すチャンス到来と言う事で朝来山を歩いて来た。街並を挟み、北に有名な竹田城址の見える地点にあるのが立雲渓、渓谷を連想させる地名ではあるがどう見ても桜の名所?、竹田城址の撮影地として整備されたらしい所だ。咲くばかりの桜の園に車を止め、協力金お一人様300円を払って階段を登る。

小春日和の朝の気温は4℃で寒い。僅かな水を落す何とか滝を過ぎると展望テラスまであとわずか、振り返る先に、春霞の中に竹田城の城壁がある。山城としては特異な造形だが、日本のマチュピチュと呼ぶには標高が無く小ぶりである。出雲の月山に残る尼子氏の居城・富田城は山全体がお城で驚くほど大きい。(参考です)

折角の展望所で竹田城を鑑賞し、道なりに進むと砂防ダムで出来た池に出た。僅かな造作で庭園らしさを演出した和やかな静かな空間である。砂防ダムの活かし方を勉強させて頂いた。見上げる位置に朝来山頂が覗いている。いざ登山口へ、と歩いて林道前に「登山口は左」の標柱を発見、ところが、左へ、林道をそこそこ降っているのに登山口が無い。見間違え?、駐車場まで車に登らせた報いであろうと言う事で再び標柱まで戻った。何処にもお山に向う踏み跡は無い。

ではもっと下であったか、と再び降って登山口を発見した。報いは充分払ったろうか?。登り始めたばかりの林床に、ミスミソウ、恐らくはスハマソウ、の三角の葉を発見した。が、花は無い。結論から云えば、山頂尾根まで探して5mm程のと2mm程の花2つを発見した。既に散ったのかこれから咲くのか、環境次第で今後咲くようになるのか、株はそれなりにあったので今後に期待しよう。急斜面の、大きな樅の木の中に続くツヅラ折れの途が終わり温かい山頂尾根に到達。

気持ちの良い尾根東端から山頂まで歩く間に出逢った自称「氷ノ山の主」、2・3日おきに歩かれて、氷ノ山は450回を超えると仰る。凄い人だ。山頂まで歩いてエネルギー補給、風もなく温かく、こんな極楽の様なピークは随分久しい。足元の蕾を着けたお花も同意見であった。

休息の後は西に移動、降る尾根に狙いを付けると赤テープの誘導付きの尾根である。新しい踏み跡の残るところをみると「氷ノ山の主」はこちらから登ったのだ。自然林の尾根を降り、杣道を辿って林道に降りた。暫く歩いて例の標柱を発見、庭園風砂防ダムを覗くと広い水面にヒゴイとマゴイが3匹泳ぐ。長い階段を降り帰還の挨拶、駐車場の車の気温は20℃を越えて少々暑い。粟鹿山の北面は白かった。

帰りに、日本最大と云う円墳を見学した。副葬品の錆に覆われた剣戟などはレプリカか本物か不明であるが、恐らく、発掘時のまま展示されている。大和影響下の地方豪族の墓との説明には承服しかねる。5世紀の大和支配下なら当然、権力の象徴である前方後円墳になるのが普通、それだけの規模である。


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