雪がないので例年よりは一月ばかりも早い鈴鹿、幾ら雪がなくても早春の花にはちと早かろうし、少なくても幾らかの満足は得られるだろうと、甲津畑からフジキリ谷に入り、登山口の傍に車を止めると傍には2台の車があった。路面には雪はおろか、朝方に降った雨が水溜りとなって残っている。比良の賑わいを思うと酷く侘しい光景にみえる。
林道歩きの長いのがこのルートの玉に瑕、暫く歩くと雨が雪に変わったあたりからは路面にも薄い化粧が施され、その分程は長い道中の慰めにもなる。薄日が射してくると温かい、葉を落とした藪からは、綺麗な玉砂利を敷き詰めた谷川の様子も見えて、傍を辿る古の旅人の姿が念頭をよぎる。
ハイキングと言いながらもこのルートは古道歩き、至るところに名残があって、登山靴と草鞋姿を思っては、昔の難儀が偲ばれるのである。桜地蔵までくると林道終点は近い、辺りの人工的に平坦な様子を見ると、建物跡であった可能性も否定できないのだ。
鉄板の橋を渡って直ぐのところに新しい小屋があった。噂には聞いてはいたが、随分近いところにも出来たものだ。中を伺わせて貰うに、思ったよりも清潔で、これなら一泊くらいはできそうなものである。前には広い川原があり、緩い流れがそれ程煩くも無い、傍にはマンサクの花も咲いているであろうか。
この後も、随分綺麗に整備された道が続いた。雪が一面を覆うようになると、雪面の動物の足跡が賑やかになった。小さな、リスかネズミか可愛らしい足跡、狸か狐か悪戯っぽい足跡、逞しい、偶蹄目の鹿の足跡。登山道には人の足跡が一つ。蓮如上人の住居跡を過ぎた頃から雪が深くなった、とはいえ膝まで届くようなところは少ない。男性が一人、凄い勢いで下りてきた、杉峠で折り返したものと思われる。
杉峠したのザレ場に吹く風が冷たい、峠を抜ける風は更に強い。杉峠までの足跡は途端に途絶えた。イブネ方面にも雨乞にも足跡がない。雨乞に向かって兎に角真っ白な雪面を登り始めた、雪面には新雪が僅かにあって、下には硬い層があり靴が掛からない。杉峠が幾らか下方に見えるに伴い、滑ると不味い状況になる。ここで方向を右側に変え、林の中で安全を確保しつつ登ることにした。
葉を落とした林の中では風が強い、ストックと木が頼みの登りでも、幾らの体温の上昇も感じない。ジグザグに登ること一時間程、やっと真っ白な雪原に飛び出した、イブネに挟まれた谷間が一望の下にある、御池や北方の山々、特に御岳の真っ白なピークは秀逸であった。どっしりとした東雨乞の背後には御在所、これだけでも価値がある。
背の高からぬブナの枝に真っ白なえびの尻尾があって、日に冴えて光り輝く。とくに青空を背景にして眺めると美しい。陽射しもあり、風もない尾根の雪庇を踏んで、のんびりと雨乞のピークに着いた。南側では樹氷が失われつつある。人の足跡らしいものはない、少なくともこの一週間の間に訪れた人は居ない筈である。
温かい風の抜けるピークを去り、今しばらく樹氷を楽しもうと、平坦な北西に延びる尾根を歩いた。青空に映える樹氷の間に、透けるような昼間の月が覗いていた。平坦な尾根も終わり、強靭な笹が雪の覆いを跳ね返して地表を覆い、傍に数頭からなる鹿の家族が和んでいた。今年は鹿には楽な越冬であったに違いない。 奥の畑谷には雪は殆ど無い、堆く積もった落ち葉が歩きにくい。雪解け水で増水した谷川を何度も徒渉し、やっと上人の寓居跡に辿りついた。後は駐車地までひたすら歩くのみ。鈴鹿は人の背丈に近い標高しか感じない。二次林が多くて町にも近い所為か、そこはかとなく懐かしさが加わる山域である。
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