■ 中央アルプス・将棊頭山
・・・・2023年06月17日
2023.6.18

今年も、石徹白から雪どけの銚子ヶ峰へは歩いたものの、目指す別山は遠かった。上小池は不通でこのまま行くと別山は夢のまた夢、遥かに遠い世界である。ここで疑問が沸々と湧く。別山辺りにこだわらなくても、ちょっとおしゃれな日本アルプスがあるではないか。思えば今や登山ブーム、猫も杓子も、おばさんもおじさんも登る日本アルプス、ひたすら低山をあるき続けて幾星霜、ひとつくらいは日の当たるアルプス辺りを徘徊しても、よもや非難の石つぶてはあるまい。

と言うことで、安全を第一に歩いて来たのが桂小場から木曽駒ケ岳の界隈、界隈に留まるところに奥床しさがあるのが分かる。木曽駒といっても京阪神からはとても遠い。行って来ます!、と言って1・2時間では行かれ無い。桂小場登山口に着いた頃にはもう9時前、駐車地は既に一杯で、少し降った川岸の空きスペースに車を止めた。ひっそりと静まり返る登山口、辺りに人影は皆無である。静かな奥ゆかしさの漂う山歩きの始まりだ。

この上無い天気に恵まれ多少暑い。ところがこのルートは落葉樹(カラマツ)の日陰に続き、日焼け止めクリームが無くても困らない。クリームなどは持たぬ主義だが過ぎた日焼けは苦しみである。直ぐに水場に着いて水温チェック、手が痛い。水源は30mほど上の山腹で、まあ飲める範囲と考えよう。巧妙な、くの字を書いて登るルートは忍の嫌いな者には有難い作り。相当計算されたルートに違い無い。笹の横に花を咲かせるギンランも計算の内である。

それなりに高度を稼いだ頃にちょっと降る。これまでの努力の賜物を、僅かとは云え損なう行為は残念至極、なにゆえでござる?、と聞きたいところで第二の水場、水源から凡そ3mほどでこれは合格、冷たくて美味しい水であった。更に少し歩くとピンク色のイチヤクソウが数株咲く。おそらくベニバナイチヤクソウとでもいう名前だ。手堅く、いや足硬く高度を稼ぎ、奈良井ルート出合いを過ぎると尾根に出た。

尾根に出たなら名だたる山々を一望でき、ルート取りとの相乗効果は倍増するはず、と思っていたがさにあらず。シラビソ、太さ・樹高から見てオオシラビソとダケカンバの林は続き、ほぼ展望は無い。ときに枝葉の隙間に垣間見える御嶽山、奥ゆかしい山歩きではこの程度である。避難小屋は樹林の下、ここで出て来た「胸付き八丁」は胸が付くほどの斜度も無く、これは案外楽勝ではないかと思うところが低山派の浅ましさ。花はあれども力にはならず、大岩小岩を乗り越えては溜め息の歩き。

終わりの見えない「胸付き八丁」を疲れた足取りで皆様が降りて来られる。何処まで行かれました?、と問うとお返事は「木曽駒まで」、「12時間コースですヨ」、「木曽駒からロープウェイで降りるリッチな人もいました」、などとお応えになるから「とりあえず尾根まで歩く予定」などと、あくまで床しい山歩きを仄めかす他に無い。疲れた歩きではあるが、俯いた、半ば開いたタカネザクラは可憐で奥ゆかしい。もしや別名のサクラかもしれない。

エネルギー枯渇を途の途中で補って、1分歩くと灌木が切れ、ハイマツの先に木曽駒ケ岳が聳えていた。ほぼ無人になった山域であるから、待っていた、と言い換えても良いか。右手が茶臼山で左手が将棋頭山。木曽駒は既に行かれる時間でもなく茶臼山には樹林帯がある。樹林は十分堪能した後であるから、ここは床しく道半ばを旨とする将棋の頭がターゲットである。願わくば、復活したライチョウのダンスは見たいところだが1万尺にちょっと足りない。奥ゆかしさと決まり事は別である。

登山道を離れてハイマツと岩の踏み跡を辿り、気の済んだ地点がピークである。西の空に浮かぶ御嶽山は霞の彼方で気の毒をした。では帰ろう、と歩くルートの長い事、思はず漏れたルートへの不満は、かえすがえすもはしたない事であった。低山派のモラルを損なう言動は現金、もとい、厳禁である。


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