近場でも、地蔵山の界隈は降雨断念以降は足を踏み入れていない。幸い今日は天気も上々、久しぶりに芦見谷でも歩いてみようか。R477には積雪もなく、乾燥注意報も出ていて濡れた箇所も無く、早朝の冷え込みによる凍結も全く心配がない。越畑の集落では、白菜の収穫期にあるのか、畑には朝から人の姿がある。
支度をして歩き出した細い集落の小道の彼方此方に、春めいた温かさが感じられる。梅の香も漂ってきて、何処かで花が咲いているらしい。とはいえ未だ1月の終わり、これから大雪にならないとも限らないが、好天に恵まれた今日に限っての事である。石垣の上に、青く光る蛇の髯の実が懐かしい。
随分綺麗に手入れされた林道にも木漏陽が射し、久しぶりにのんびりした山歩きである。芦見峠から芦見谷に下る道に本土リスの姿があった。台湾リスや蝦夷リスに比べ、痩せて幾らか小さく、落ち着いて見えたのは贔屓目であろうか。林床の木の実を捜して彼方此方と忙しい。小鳥の声も賑やかで、雪の少ない今年は多少は楽な越冬に違いない。
それにしても雪も無く、凍りつかない芦見谷は目面しい。よく見れば、谷川の飛沫を受けた枝や流れの少ないところには分厚い氷がある。そろそろ谷中にも陽射しが零れるようになったので、気温も上昇しつつある。林道終点から暗い杉の林の中を、谷川に沿って歩く。ふと見た対岸の崖上からの真に小さな滝は、完全に凍り付いている。
竜ヶ岳登山口を右に見て、無人の竜の小屋を訪問。「あたっていかんか」という有名な主の姿はない。入り口にはテーブルや椅子らしいものがあり、誰でも使えるようになっている。小屋には鍵がしてあって、様子を伺うことは出来なかった。小屋前の小さな流れの傍に、沢山の短冊が吊るしてある。なかには趣のある短歌などもあり、暫く立ち止まって読ませて貰った。
竜の小屋を過ぎ、首なし地蔵方面に歩く。首なし地蔵とは、穏やかならぬものを感じる。京都へ続くユリ道であることがそう思わせてしまうのだが、これが他の地域だとまた違った趣があるのだろうか。実際は廃仏毀釈の折あたりで災難にあったものだと思われるのだが、どうであるのかは知らないままである。
首なし地蔵までくると人のざわめきは一際である。駐車場には車があふれ、愛宕山へ参詣者が後を絶たない。愛宕山への参詣道は南向きの場所が多くて温かい。多少のアップダウンも交え、額に汗が滲んだ。雪は全くなく、愛宕神社の傍まできて始めて硬く凍りついた車の轍が残っていた。
愛宕神社は盛況を極め、老が多い目の老若男女が群れていた。中には、小屋を占拠して、酒を酌み交わす老老男女の集団もある。日本酒の匂いは小屋の周りに充満し、むせるほどである。小屋が幾つかあってもどこも満員、広い庭にはベンチで昼食を摂る人々。そして引っ切り無しに登ってくる人たち。
自販機を探し当てたが、嘗てあった筈のビールのラベルが目に入らぬ。別の自販機はないか、人を分け分け十数分、ビールのラベルは何処にもない。落胆を隠せない足で、最奥の社にとりあえず顔を出した。すべからく出雲の流れを汲む神々であってみれば、いずれ八百万の神々に列することになるであろう我が身であれば、同類と断じて何が悪い。裏手に回るとパックやビンに入った酒が沢山あったのだ。
神社を後にして地蔵山を目指した。林道には所々完全に凍りついたところがあり、勾配があるとこれが非常に危ない。そんなおり、下ってきたハイカーがものの見事に転げてしまった。照れ隠しに笑って見せたが、あれは相当に痛かった筈。先週は、雪で滑った弾みに枯れ木が尻に刺さっていまだに痛い。十分な注意が必要である。 尾根伝いに地蔵山へ向かったのは良いが、腹がグウグウなる。どこか適当な処と思いながら、反射板跡は風が強い。地蔵山ピークを越えアセビの林の一角で昼食。ビールがあれば神社で食べた筈であった。14時を回ると流石に太陽の温かさも精彩がなくなった。アセビの林にはうっすらと雪が残る。
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