■ 北摂・原立石〜ポンポン山〜善峯寺
・・・・2022年08月27日
2022.8.28

公共交通で、日帰りできるお山などは殆ど無い、登り甲斐などを気にしては探さ無いのと同様だ。加えてご近所のイベントなどが重なると諦めた方が良い。曲折はあったものの、最後はポンポン山が急浮上、高槻市からバスで、読み方さえ覚束ない「原立石」へ連れて行って貰った。随分楽ちんな移動である。これは案外にお気楽で楽しい。

車内には山装束の方々ばかりが残っていた。がここで降りる方は他に無い。しかしバス亭の前にポンポン山への地図がある。それによれば凡そ8キロの距離らしい。雨を予感させる風のないドンヨリ黒雲が空を覆う。雨が来れば傘がある、しかしこのジメジメした空気は応える。同意を求めたのは自販機上でジッと身を伏せるアマガエル。流れの早い山裾の側溝に沿って住宅街を30分、高速道路の関係で分断された道を繋ぐと宅地を離れてお山に入った。暫く歩くと新造の立派な道と有料の広い駐車場がある。駐車場に車は1台も無い。かなり深い谷沿いの道から樒を持ったおばさんが降って来られた。道を間違えた訳では無い。

谷道に架かる鳥居の巾一杯、枯れた樒が吊るしてある。何の呪いか調べたところ、古い時代に米相場の変動を占ったとある。高いところにあれば高止まり、落ちておれば暴落と読んだか。米の相場を神仏にお願いするとは罰当たりな事だ。真面目一辺倒では凡そ言語道断、風流人には洒落の類、勧請掛と立派な名がある。

暫く歩くと、照葉樹の大木の下に、風流人士のたむろする峰山寺、風流はよほど儲かるのか立派な門構えだ。ここからは暫くこのお寺の敷地が続き、有料駐車場と目的の不明な施設が点々と続く。風流を解さない人種であるからどれもこれも胡散臭い。お山を歩く方々には駐車場は有難いに違いない。距離は相当に短縮出来るしここまで登るとヒンヤリした風も起こる。

次に登場したのは本山寺、登山道を離れて寺の中を見学させて頂いた。ここで一生を過ごしても可なり、といった気になった。風流は、巧まずして染み込んで来るものらしい。取り憑かれては一大事、登山道へ向って早足避難だ。小尾根を乗っ越すところに祠を持った大きな杉があった。裏に回ると天狗杉の名さえある。天狗の舞い降りたと云う杉の向こうは新名神が唸りをあげる。

登ったり降ったりを何度か辿るとそろそろポンポン山じゃない?、と思ったところはポンポン山山頂の下であった。広からぬ山頂大地のあちこちに設置された椅子とテーブル、就中、木陰の下に誂えたところに風流がある。一組を使わせて頂いてコーヒーで休息、ここでテン泊も良いな〜、と思わせる罠、がここまで歩く事を思う直後に覚醒、事なきを得た。

さて降りは何処へ降りよう、何しろ今日は拘束が無い。釈迦岳を経由して、地理院地図の点線ルートで善峰寺方面に降ればバス亭がある。釈迦岳方面に不通区間は無い。釈迦岳方面の尾根道はよく踏まれた明るいルートだ。この時間にもピークを目指す方々がチラホラ、釈迦への関電巡視路分岐の横を降って行く方はお隣のテーブルでおにぎりを頬張っていたおじいさん。案内板に「杉谷」とある踏み跡の確りしたルートだ。残念ながら地理院地図には載って無い。

急遽、杉谷ルートに変更し、おじいさんの背中を追いかける灌木の尾根は今日一番に明るい。明るい尾根から谷に下降、谷を出たところの小さな集落が杉谷だ。ここから右へ舗装路を降ると善峰寺、ところがこの道が凄い斜面に作られた道で、カーブを登って来た車のお兄さんの顔は真剣そのもの、残るタイヤ痕が苦労を物語る。兎に角、車には大変な道である。

降りたところの地名は知らず、善峰寺もまた怪しい雰囲気の寺であった。西国20番札所とあったがどうも一般の寺社の雰囲気では無い。もっとも、全容を見る術の無い急斜面に建築された寺社である。バス亭傍の、落ちる谷川の両岸に咲くシモツケ・草アジサイには驚いた。風流は、絶滅寸前の草花でさえ蘇らせる力がある。登山者の他乗客の無いフル規格のバスが隘路の続く古い都の跡を走る。


CGI-design