■ 湖北・賤ヶ岳
・・・・2022年03月12日
2022.3.13

アメダスによる金曜日の柳ケ瀬の積雪は95cm、幾らも離れない余呉湖辺りも同じ雪景色、アイゼンほどは不要でもワカンは必須、寧ろ駐車地の確保が問題であった。ところが、高速から見える景色に雪は無し、春霞に煙る様子は春到来と云わざるを得ない。高速を降り国道を少し走ると余呉湖観光センターの駐車場は無料だ。温かい陽射しの湖面に水鳥の浮かぶ閑静な田園風景が広がっていた。観光地化された様子は余り無い。登山仕様の若者二人が歩き出し、30人ほどの長い列が登山口のある神社の方に消えて行った。

川(地図によれば用水路)に沿って移動すると川面に水鳥がいる。一旦潜ると、1〜2分のあと随分離れたところに顔を出した。もう少し近ければ拍手のひとつも惜しまないものを。残念ながら逃避距離は如何ともしがたい。道標に従い、民家の路地を上ると里山らしい林に出た。林の中に続く踏み跡にばかり雪が残る。

泥濘の途を登ると高山右近の名のある看板があった。右近は北摂は高山の出で高槻城の城主であったと記憶している。キリシタン大名としても有名だ。此処は岩崎山砦跡、400年も昔の様子を今でもよくとどめていた。そんな旧跡に真面目そうな若者が入って行った。辺りは杉の植林で兎に角暗い。しかしかくも見事に何処へ行っても植林地の続く日本、ほぼ放置された様子まで同じである。少々控え目にやろうといった意見は無かったものか。

見物が済む頃には先の若者も戻って尾根を南へ歩く。同じ様なカナダ杉の途に展望はほぼ無い。代わりに多いのが縦横に延びる作業道の跡、雪に覆われているから現役であるかどうかは不明である。そんな途上に柵で囲まれたエリアがあった。これは?、と、上に登る足跡が出て、登った先に立派な墓標が建てられていた。此処は大岩山砦跡、墓標の主は中川清秀とある。没後400年の後に名を残す敗将はある意味で名将を超えたと言っても良かろう。

直ぐ先の少し降った辺りに清秀の首を洗ったと伝えられる水たまりがある。勾配の緩む長い上りは「猿ヶ馬場」の名があった。恐らくは秀吉に因んだものか。しかし雑音の多い山であった。高速のノイズであろうと思っているとヘリコプターが上空を飛ぶ。ヘリコプターはうるさい。やっと植林地を抜けると次は雪の2次林を登る。最後はかなり深い雪の中の急斜面を登って賤ヶ岳の山頂に着いた。

今までの鬱憤を晴らす様に、遮るものの何も無い山頂からの眺望は素晴らしい。雪を戴く湖北の山々と余呉湖は絵になる光景だ。鎧武者の像は嫌に俗っぽくてどうも合わないように思う。尾根を南に降るとゴンドラがあるらしい。先の団体さんはそちらに行かれたようで姿が無い。少なくなった踏み跡に続いて北側に降る。直下は深い雪の途も、切通しの途に出合う辺りで少なくなった。左は琵琶湖、右は余呉湖に降る。

降った湖畔の道は春風の道であった。お散歩中の方々がすれ違う程度で車も少ない。水鳥は逃避距離の範囲でプカプカ、無数にある雪解け水を合わせた谷川の水は多い。水質はどうなんだろう?、湖の透明度は必ずしも良くは無い。


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