■ 京丹波・和知〜大栗峠〜シデ山
・・・・2021年10月30日
2021.10.31

丹波高地、長老を登りながらいつも目にしていた山波。中津灰やタカノスなどと、気になるピークのある尾根で、行ってみたいと思いながらも未踏であった。500〜800程度の山波には幾つかの峠が残り、桃源郷の様な古屋の里にも通じている。古屋への道は仏主から登る。今日はまず手始めに、大栗峠を経てシデ山まで歩いてみよう。様子が解れば尾根縦走も出来る日もあるだろう。

皆様の記録を参考にさせて頂いたが、多くは綾部側からの記録で和知方面からのものは少ない。綾部側からでもけして不足は無い。和知方面からでも登れるものを、わざわざ回り込む時間とガソリンが勿体無い。ガソリンは騰いのだ。27号線から和知に入り、仏主の大分手前に上粟野と云う集落がある。「和知山の家」を調べておけば良かったのだが、ちょっとウロウロしてしまった。

川沿いの小さな作業所の横に車をおいて、歩きだしたところへ陽射しがきた。今日の朝方の気温は低目で周辺は濃霧、尾根の向こうから陽射しが届くと一気に気温が上がる。集落の背後に続く林道を歩いて、最後の家の後ろに空いた山道を確認した。竹林に続く急勾配の踏み跡に獣の他に痕跡が無い。朝露に濡れた急勾配の藪道、朝から3重苦を体現した様なルートは避けても良かろう。林道を詰めると大栗峠口にも通じているのだ。

あっさりと、のんびりコースの林道歩き、この地域の来し方を観察させて頂こう。10月の終わりの道にミツバアケビの実が落ちている。明るい上和知川から離れた谷間に一軒家が残る。建て増し続きで大きくなった様に見える家に今は老夫婦がお二人、物干しの下着が如実に語っている。寂しそうな家にも賑やかなときがあった筈だ。そうしたときがもう少し続いていたなら、、。

静寂を破る1台のバイク、暗い山腹の墓石、谷川に沿って残る克く耕された田圃の跡、今は全て杉の林だ。陽射しがあるととても良いお散歩コース、斜度は少なく何より静か。2キロほど遡上したカーブに大栗峠への案内が立つ。案内の指し示す山腹に形だけ残る重機の作った軌跡。急峻な山腹に続く道は積雪時は危ない。新設した道だろうと思っていると克く踏まれて出来る道型もある。実際のところはどうなんだろう?。

杉の林はあるものの、明るくて歩きやすい道、途中には大きなお堂跡もあり、今は小さな地蔵さんが残っている。いたるところに簡単な椅子が設置され、残念ながら、ほぼ全ての椅子に熊に傷められた痕跡が残っていた。少し色付いた山の端が見えて来て大栗峠、大栗山方面から降りて来られた二人組、シデ山に向って歩くと展望の拓けた場所に椅子が待つ。展望所などと書かれた案内もあり、腰を下ろしてエネルギー補給、またまた大栗山方面から来られたハイカーが熊鈴鳴らして去っていった。

流石にこの時期の稜線は寒い。さあ行こうか、と立ち上がったところへシデ山方面からの二人組。ちょっとお話をして大栗山に消えて行かれた。今日最後の出逢いであった。登って来る途中も尾根上にも、この山域にはアベマキが多い。しかし林床に残るドングリはただの一つも見ていない。多くは無くても鹿の痕跡は多数ある。全て鹿が食べたと言う事か。他に食べるものは全く無いのだ。

ロープの張られた踏み跡に沿って、急な山腹を登ると岩尾根のシデ山ピーク、展望は良いが事前の調査と違う光景。もう少し東へ行きたい気持を抑えて今日はここまでとしよう。今日は調査が目的なのだ。登りの予定であった地理院地図の破線ルートは直ぐ下まで続いている。降りは当然このルートを辿ろう。道型が残れば僥倖、踏破が可能である事が分かるだけでも有り難い。

山頂から暫くは急斜面が続き、二股を右に進むところを間違えて左へ、消えそうな尾根に慌てて地図を見て修正した。直線距離では確かに短い尾根ルートも、倒木・馬酔木などによる迂回を繰り返すとけっこうな時間が必要である。やっと下げ始めた高度の先に、孟宗竹の藪があり、最後は防獣ネットを辛うじて越え降りたところは「和知山の家」の庭であった。


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