■ 丹波・烏帽子山
・・・・2021年02月07日
2021.2.7

北近畿豊岡道は霧の中、目指す青垣生き物ふれあいセンターはどこらあたり?、スマホのナビは「右」と云うけど、直ぐ横に来て見える狭い道では止まれない。広めの道をUターン、センターの広い駐車場には5台ほどの車が間隔をあけて止めてある。何故だろう?、と思いながらもセンターに1番近い階段下に車を止め、階段を登ってセンターの庭に直行、そろそろ晴れてきた霧の中で、よく見れば白い小さな花がポツポツと見える。2月初旬ではあるが雪はなし、温かいとは云えないまでもそう寒くもない。充分な寒気の後ならひょっとして?、と期待したセツブンソウは咲いていた。

ひとしきりセツブンソウを観察し、後は恒例の烏帽子山を歩いて来よう。1年に1度だけ訪問させて頂く同センター、夏場は山ビル様の保護下にあって、簡単に訪問することも叶わないところだ。センター周辺に延びる散策路を歩いて、先ずは南側の東屋まで、今も現役の尾根のヌタ場、大変な数のヒキガエルが居たヌタ場ではあったが、流石に2月では早すぎる。ところどころに残る烏帽子山への道標、見晴らしの良い辺りに出ると陽射しも出て来てけっこう暑い。見晴らしの良い伐採地を抜けるとちょっと暗い植林地を歩く。標高は少ないもののアップダウンはそこそこある。

見渡しても、林床に残る緑は無い。緑は見えないが鹿の糞は多く、度々鳴き声も聞こえて来る。辺りの山ビル被害は当分は続くものらしい。目の前に立ちはだかる滑り易そうなザレ場、儀式を終えると烏帽子山だ。東西はほぼ崖、南北はちょっと厳しい細尾根で、狭い山頂には古城を詠んだ句碑が建つ。北側を覗くと、真新しいトラロープの設置された登山道、黒井城に続き、ここにも大河ドラマの影響は及んでいた。この尾根の北側は福知山市、確かお城は明智光秀の造営だと記憶している。この砦程度の城に籠もり、最後まで抵抗した勢力は反光秀派らしい。今となっては何れも夢の跡ではある。

この上空では2度、クマタカと遭遇した。今日もまた、と仰いだ空をヘリが飛ぶ、クマタカの方が良かったのに。居ないものは仕様がない、南側に降るとここにもトラロープ、転げ落ちそうな斜面が楽になった、光秀さんありがとう。急坂を降り、梨木峠に向うところでトラロープも切れる。トラロープは飽くまで福知山、青垣ではないのだ。トラロープは無いが、古くからの踏み跡は、ユリ道のように迷いようの無い尾根道となって残っている。ただし倒木や煩い灌木、ときにはヌタ場となり果てたところは時代の盛衰と同じだ、近頃の踏み跡は無い。

雰囲気の良い尾根の終わりは裸のザレ場、これを降ると梨木峠、福知山側は倒木などで酷く荒れている。こちらも整備はされていないものの通行に支障は無い。橋のたもとのお地蔵様は、道行く人を見守り続けてどれほどだろう?、赤いよだれかけは新しい。のんびり歩く予定の道でポツポツ、見上げた空はいつの間に真っ黒、最後ほどは急いで歩こうか。


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