■ 若狭・木地山集落〜桜谷山
・・・・2020年12月05日
2020.12.6

雪の小栗の山頂から南に見えた桜谷山、木地山峠から登り、若狭駒ケ岳の手前の尾根を降れば立派な周回コース。記憶の道を探してあっちへウロウロこっちへウロウロ、木地山集落への道は遠かった。当時、おじいさん、おばあさんだけの住む世帯が3戸ほど、途中に拓けた広い土地はダムの予定地、撤回されたとは云え住民は居ない。予定では廃墟、ところが、集落入口の公民館前に並ぶ車を見て驚いた。駒ケ岳はそんなに人気?、枯草の駐車地に車を止め、改めて見た集落は以外に明るく、住民の居ない家の先には小洒落た家、新たな住民を加え、綺麗に整備された集落があった。

それにしてもこの車の数、後で気付いたことだが、これは山仕事の方々のものだと思う。とは云え、随分様子の変わった道を歩いて集落を抜け、シチクレ峠に繋がる道を分けて北へ歩く。更に百里ヶ岳東側の山腹に延びる道を分けると泥濘んだ道に足跡が一つ。同じコースに違いない。道が終わると小広い河原、はて?、途は何処?、先行者の足跡は残らないし、随分変わってしまって取り付きが不明。川の先に、行き先不明の案内標識が残る。あれに違いない、と、川を渡渉、重機の作った酷い道が谷の奥まで延びている、辺りは植林地。古い峠道に代わって重機の作る強引な道、仏仏。強引でも、辿れる間は良かったが、川に侵食された辺りはひと苦労。右は川で左は急勾配の山腹、辿るだけで山歩き相当の体力が必要だ。

前方の高みに、明るい冬枯れた尾根が見え出し、このまま尾根まで登れるかも?、などと甘い考えが出て来たところで道は左右に分かれる。直ぐ上には大カツラ、ここで現在地を確認、何だ、峠道とは違う谷を登っていた。左の道を行けば桜谷山に近くなる、前方に百里ヶ岳が見え出した。暫く登ったところで道は終わり、上に登れば国境尾根は直ぐだろう。目の前の尾根に這い上がって暫く、緩やかな、ブナの林は明るい。一つピークを越えた先に、中央分水嶺が姿を見せ、右手に駒ケ岳、背後に比良山系。左手に百里ヶ岳、なかなか良いところだ。

目指す桜谷山は直ぐ左のピーク、分水嶺に続くひとすじの途、そこに残る踏み跡は先行者のものだろうか。日本海側は黒雲の広がる冬の景色で、この尾根を境に陽射しも無い。温かい時期なら、テント泊にもって来いの場所、この時期は北風が冷たい。桜谷山ピークに登ると北に続く小栗までの釣り尾根が招く。こうなったら、駒ケ岳へは行く気は無し、招かれても良いが帰りが遅くなる。改めて、小浜から登る事にして、予定の木地山峠に下降しよう。

長い間、峠のお地蔵様の朽ちた小屋は気掛かりの1つ。久しぶりに見たお地蔵様、小屋は新調され、飛ばされないようロープで固定されていた。辺りの藪も、成長した木々のお蔭でスッキリして明るい。ということは、記憶の光景は相当昔の事になるなあ〜。で、今日の山歩きは終了、あとは峠道を降るだけ。少し降った温かい日溜りでエネルギー補給、良い峠道、と思っていたのはここ迄で。この先の荒れ様は酷かった。途は途切れる渡渉は多い、昔の道を思い出すよすがも無いほど荒れた途、降りには選択したく無いコースであった。


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