■ 京都西山・水尾〜愛宕山
・・・・2020年11月14日
2020.11.15

今日は温かく快晴、紅葉日和、天気予報でもお出かけ日和と云うくらいだから、お山はえらいことになる。近場でやり遺した道でも辿るべく、越畑を越え樒ヶ原を越え、神明峠に車を止めた。水尾まで行けたらなお楽ができる、が水尾にそんな場所が無い。朝から息を切らしたサイクラーが度々通る。降る府道は先ず杉の林、集落手前の、愛宕山まで駆け上がる谷の先からイノシシの狼藉が酷い。山側の路肩に満足なところは残っていない。就中、水の無い路肩のヌタ場は強引だろう。

光の溢れる水尾の集落、収穫の済んだ柚子畑を抜けると登山口に続く広く新しい道、関係者以外立入禁止、と書いてあるからこれを辿れ無い。理不尽を形にしたような道を過ぎると開いたところを見ない茶屋、直ぐ先に新しい茶屋らしいものが出来ていた。ここから細い、人気の無い路地を登ると登山口に着く。樹林の陰に続く厳しい登山道は11℃。

等高線の混み合う辺りを出来るだけ緩やかに辿る道、登山道としては立派に過ぎ、別に米買道などがあるからどうしても愛宕神社に因む道である。この道を通勤せよと云われたらかなり辛い。参道に残る花売り場は水尾の方たちのもの、毎日ひらくのは考えものだ。植林の合間から覗く明るい秋の山々、道に降りそそぐ綺麗に色付いたシデなどの葉、このシーンだけを切り取れば極楽の様な光景だ。しかし心臓は高鳴り脚は重く汗は止めどなく、後ろから追い上げるカップルはあり、ここは踏ん張りどころで、前方の高みに小屋が見えた。登りきって表参道にとうちゃく〜。

今日は未だ歩いていない大杉谷コースで山頂を踏む予定。従って、ここから降り、いつぞや歩いた旧ジープ道を少し降って大杉谷コースに合流する予定だ。ひっきりなしに登ってくる老若男女を横目に降るのだから快調である。それにしても人が多い。幼稚園児を連れた皆様はご苦労もひとしおであろう。記憶よりもかなり降ったところで旧ジープ道を見つけた。大杉谷コースとも書いてある。気になったのは他に一本踏み跡がある事。

未だ陽の差さないジープ道を降り、大杉谷コースへの分岐を示す目印を見付けて暗い杉林、克く踏まれてはいるものの近頃のものでは無い。急斜面に続く水平道を辿るとトラロープが残る。谷に張り出した倒木が踏み跡を塞ぎ、その先を見ると道が無い。これは不味い。旧ジープ道を降れば間違い無く大杉谷コースではあるが、あの厳しい道は降りたくない。引き返えして、尾根に延びる道を行くべく登り返し。

良い感じに延びる踏み跡の片端にはナメコ、少し上に登ると上方に一直線に登るコンクリート製の道、振り返ると大きな黒いトンネル、何じゃこりゃ?。思い出したのが古いケーブルカーのお話、こんなところにあったんだ。上には先行者の姿もあるし、登ってみよう、と歩くケーブルの跡、身体の硬さが見に沁みるほどの傾斜である。振り返ると後続が1名、右手を覗くとぎょっとするほどの高さ。

せっせと登って辿り着いた古い建物、物の怪が棲みそうなほど荒廃したコンクリート製の建物は、昭和19年に廃止となったケーブル愛宕駅であった。駅舎前の広場の紅葉は今が盛り、陽射しもあってお昼にちょうど良い。風に吹かれると寒い。エネルギー補給の後、上にあるホテル跡などを散策、紹介文によれば、水尾出合い辺りは料亭などの列ぶ賑やかなところであったらしい。古き良き日本の名残である。

水平道を歩き、表参道と出会ったところは水尾出合い、何のこっちゃ?。既に何処へ行く気もないので水尾に降る。時間があるので、向いの山中にあると云う清和天皇墓所を訪ねてみた。柚子畑の中を谷まで降り、橋を渡って宮内庁の管理する道を辿ると立派な社がある。近頃の建立だと見えて古色は無い。西暦900年より前に、31歳で亡くなった源氏の始祖とされる天皇の墓所としてはとても質素。何もないので、雅楽「越天楽」などお聞かせしたがお気に召したろうか?。明日は水尾の方々が集い、天皇の無聊をお慰めするらしい。


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