大台駐車場からの出発は、きまって気勢が上がらない。紅葉の見頃も過ぎたこの頃にしては、ハイカーの数が半端ではない。流石に日本100名山である。予報程ではないがまずまずの晴れ間が覗き、大普賢岳、行者還岳の鋭鋒がモノトーンの墨絵の中で明瞭だ。風がかなり強くて寒い中、尾鷲辻に向かう姿は一人もない。
見晴らしの良くなったトウヒの林には風が無く、林床を覆うミヤコザサが良く目立つ。シオカラ谷源流の流れには色褪せたカエデが沈殿し、晩秋のもの侘びしさを形にしたかのようである。前から3人の若者が帰ってきた。無人の尾鷲辻の東屋を抜け、大台ケ原の斜面に差し掛かると、その明るい山容が、先ほどまでとは大いに異なり、開放感に溢れたものに見える。
殆どの下草が枯れてしまった中、林床に残るのは、良く発達し一面に繁茂したミヤマシキミで、赤い実が鮮烈な印象を与える。歩き辛い道を下り、殆ど水平な、肩と呼ぶには余りに平坦なところから堂倉山のピークに向かう。ピークといっても僅かに登るだけなので、山名がなければまず気にする事はない。余りに平坦なので何処がピークか判断できない、観測機材のある近くの立ち木に掛けられた山名プレートを頼りにするだけである。
ピークを南東方向に下ると長く続く尾根が見える。右下に水の流れる谷が見える。まずテント泊には持って来いの場所らしく、木々の茂る夏場はどうあれ、湧き水があるのは発見に値する。堂倉山南東に端を発する不動谷の源頭からは、ゴボゴボ音を立てる湧き水がある。落ち葉に覆われた谷の中は、温かくて居心地の良いところだ。暫く谷を伺いながらの散策といった具合である。
大分下ったようなので、ここらで尾根まで引き返して、はて?、どうも違う。北側に尾根があり、その先にテーブルランドがあるのだ。5万分の1の地図では容易に分からないが、かなり大きな谷を隔ててしまった。更に谷を跨いで目標の尾根までくると、背の低い石楠花が一面を覆う伐採地に乗った。テンネンコウシ高だろうか、テーブルランドの山腹からそそり立つ巨岩の山、大きなロウソクのようである。
大きく方向を変えると地池高の先の伐採地の様子が詳らかになった。遠めにも、その凄まじい様子が良く分かる。台高の南部には、このような伐採地が多いようだ。今歩いているところも同じ時期に伐採され、石楠花だけが繁茂する荒地になっている。ひょろ長いヒメシャラの林を暫く歩くと、簡単な山名プレートの懸かる地池高だ。東の展望が頗る良い様であるが、そこには荒れた山肌と植林地だけが続いている。
残り時間も少なくなるなか、地池高を下り、伐採によって風に曝され倒木に至った巨木の多いピークを越えて、何も生えない斜面を下って地池谷に下降。随分荒れ果てた道を下って堂倉本谷に懸かる、今日の最低高度にある橋を渡った。少し先に林道管理事務所の赤い屋根が見える。往時にどれだけの大金を投入したのか、その効果はどれだけであったか計り知れないものがあるが、作ることも考えものだが放置するにもまた考えものだ。
橋を越えてからの林道は、目も当てられないほどの荒れようだ。見下ろした白濁する川面も、青く波打つ深い瀞も、陽射が無くなると同時に寒々しい光景でしかない。荒れた道を堂倉避難小屋まで急いだが、割れた石が多く、歩き辛くて足が痛い。無人の堂倉小屋に着いたのが16時に5分まえ。暫く休む間にも気温が下がっているように感じる。
堂倉小屋からは明瞭は登山道があり、少々暗くなっても戸惑うようなことはない。がしかし、募る寒さと強風は別だ。見晴らしの良いようなところでは、樹木の下や林床に氷が落ちている。樹皮に着いた水分が凍り、発達して落ちたのか、それとも別の。気温は−4度くらいだ。シャクナゲ平か尾根か、階段道をひたすら登ると、狭い尾根に上ったところで男性に出会った。大きなザックを担いで下ってきたのだ。今晩は堂倉小屋か粟谷小屋か。ザックから判断して、一人ゆっくり堂倉小屋か。
西の尾根の上空は赤く染まり、明日の天気を占う。長く伸びたシャクナゲの一体を抜けるとミヤコザサが現れ、最後の階段を踏みしめると西日が丁度隠れる寸前である。寒風吹きすさぶ陽の落ちた日出ガ岳山頂から、熊野灘の島々、長い入江の奥にある街などの輪郭が嘗て無いほど明瞭に見えた。
日出ガ岳からは30分程の遊歩道を歩いたが、足が痛い、膝が痛い。大台山荘の2階窓から覗く人影。十数台の車が留まる駐車場。強烈な風が吹き渡り、寒さも募るばかり。
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