南の空は、山々との隙間に朝焼けがあり、その上は今にも落ちてきそうな鉛色。今日は快晴の予報であったが、何時もながら天気予報の的中率は、まるでお話にならない。それでも川上村にはいるころから、辺りに明るさが戻ったのは、幸先の良い事であった。
柏木から、大普賢岳への尾根ルートを見送りながら吉野川を渡り、道なりに林道を走ると林業作業の真っ最中。駐車地は如何であろうかと思いきや、広い貯木場はひっそりして、路肩には一台の車があった。
既に用意も調いつつあり、どうやら直ぐにも歩き出しそうなカップルである。谷間の事ではあり風も無く、薄日も差すので温かい。先の二人を見送って後10分程で跡を追うことになった。伏流水の川に沿った荒れた林道を進むと、途中に更にもう一台。何がなし不人気の山域だとの思いがあったので、これだけでもちょっと驚きである。
林道終点から沢を渉り、暫く先で用水のささやかな堰堤を越えると、愈々本格的な登りとなる。数年前に崩壊した斜面にも雑草が繁茂し、すっかり安定した様子に変わっていた。この登りは、尾根に登り着くまで殆ど緩斜面らしいところがない。岩の間から沁み出す水で一年中潤う水場を過ぎると休むところがない。
根性無しであるから、ここは間違えず流れ落ちる岩清水に手を浸し、幾分生ぬるく感じられる湧き水を口中で確認して身体を休めた。随分明るくなったように思われる杉の林は、間伐などがあったようにも見えない。杉自身の成長の結果、林床に届く木漏れ日が増えたのか。最後の水場を過ぎるとあとはひたすら登るだけである。
色付いたクロモジや葉を落としたミカエリソウの中、見上げると先の2人に加え、その先に4人の姿もある。尾根までは未だ暫くの苦行が続く。このような徒労とも苦行とも形容できる行為に人を駆り立てる衝動とは何であろう。快適な文明の恩恵の中では味わえない何か。足掻きか逃避か。いずれであっても足に疲労が溜まり、心臓はバクバク。あ〜ここで休みたい。
思いとは裏腹に、追い越したくも無いのに先を譲られる。先の4人ばかりはそのままで、と思っているのに、声援を受けるが如くに道を譲られる。これでは休むに休めない。恨めしい。尾根に上ると風が冷たい。東に転じてその先の急斜面、崖を見上げると、ほとほと泣きたくなる。尾根から先は更に厳しい瘤が続き、両側は切れ落ちているので巻くことも出来ない。
トラロープの懸かる急な斜面をひとつ越えると更にもうひとつ瘤がある。さらにもうひとつ、岩場を巻いてもとの尾根に戻ると足が動かぬ。疲労しきった足には、カヤトの茂る、中でも緩い尾根すら堪えるのである。ようやく着いた小白髯岳ピーク。ここで引き返した事も一度だけある。南には、ノコギリ状の大普賢岳が、北には薊岳の背後に、北部台高の山並みが霞の中にある。
眺望については小白髯が一番である。ここで満足するのもあり得ることだ。だいたい、今西錦司が「登り応えのある山」などと評したところから苦行の行列が始まったのである。そしてその行跡を確かめに行くのである。とまあ、身体も休めたしこの先長いし腰を挙げよう。小白髯からは一旦下る。下ると先に瘤がある。瘤の両側は崖が続き、登山道は細いところで60cm程である。
やっと射程に入ったかと思いきや、目指す高みはその先である。再び、三度、いやいや幾度かは登って下るを繰り返すのである。ようやく白髯岳直下に至り、ここで温かい南側のカヤトの中にザックをデポ、空身になると風が更に冷たい。低いブナなどの間を攀じ、石楠花の間を抜けると白髯岳ピークである。ピークには今西錦司の碑があるの他、とくに言及するものがない。東側の窪地には一人と一匹が休息中であった。
デポ地まで戻り昼食。風の当たるところでは休息どころではない。4人が追いついてきて、3人がピークへ向かった。おばあちゃんは一人残り「3回目だからパス」だそうである。元気である。暖かな休息地を譲って下山に掛かった。下山といっても小白髯までは登って下ってを繰り返すのだから、高度を下げるわけではない。陽射の戻った岩尾根からの眺望はなかなかのものであった。
例のアベックは細い尾根の上で食事中であった。もっと暖かな場所を選んだら良さそうな、いらぬお世話か。どうやら瘤歩きも終わり、植林帯に入ってもやっぱり長く、いつもの事ながら足の休まるところが無かった。駐車地に戻ったときは15時、秋の陽は釣瓶落とし、ハイカーには辛い時期がきた。
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