■ 京都西山・牛松山
・・・・2020年02月15日
2020.2.16

越畑の物産館に車を駐車、辺りを覆う下界の霧も、ここでは枯れ草の露となり、雲間から覗く陽光に煌めく様子は幸先の良い証拠だ。今日1日は晴れの予想で、愛宕山へのジープ道を辿るのは勿体無い、で思い出したのが牛松山。愛宕川の下流から、登り返せば神明峠で、帰路のルートも訳は無い。

府道を少し、水尾方面に歩いたところで右側の尾根に向かって踏み跡が残る。踏み跡と云うより古道らしい雰囲気で、尾根に登るまでに汗になった。厳冬期の2月に拘らず湿度が高く、照葉樹の葉は雨後の様に濡れている。倒れたタムシバの花芽は未だ生きていて、摘むと強い芳香を放つ。水平道を進むと踏み跡は小尾根を越える、が、古道らしい道は小尾根を避けて巻いている、ここは楽の出来る巻道を行こう。思えばこれが、今日の山行を占う事になっていたのだ。

少し歩くと道らしき踏み跡を塞ぐ倒木、硬い身体を駆使して越えるとまた倒木、いつしか道型も消え、ところどころにあった赤テープも消えた。これは不味い、藪の斜面を掻き分け掻き分け、尾根芯に出ると歩き易い道、僅かな距離に、エライ労力を掛けてしまった。

やや降ったところに鉄塔があり、左手に続く道を辿ると西と東に展望の良い尾根に出た。展望と云っても辺りは山ばかり、ピーク下辺りに建物が見えるのは愛宕山に違いない。南には、霧に霞む山々の稜線と、雲海に浮かぶ鉄塔の墨絵。次のピークを抜けると林道に出た。この道は地図には無い。林道を尾根の外れまで歩き、林道に架かるハシゴの先に、牛松山に続く尾根が延びる。

国土地理院の地図にある尾根道にしては、少々心細い踏み跡ではあった。暫時の休息を入れて尾根に突入、踏み跡を探しても見つからず、ところどころに残るテープ。何れ古道に出逢うはず!、と思いながら歩き辛い藪を進み、時折見える前方の小山は牛松山であると信じていた。

降り勾配がややキツくなり、辿り着いた谷底から見上げた牛松山、山腹の傾斜はキツくシダが茂る。登りたくない!、少し谷を降ると人工物である石積が残る。何の目的で谷底の整備が必要であったか、今では杉の植林のある、ダムの様な造りの谷底は結構広い。右の斜面に、一部崩れてはいても明らかな古道の跡、半信半疑で辿った古道も、やはり酷い倒木で前進不能。シダの斜面はやはり登りたく無い。

ダムらしい構造物の下まで来ると、関電の巡視道が別れている。谷を降れば愛宕川に出るだろう、と降り始めた険しい谷のへつり道。嘗ては立派な道であった事は、満足に残る辺りの積石で良く分かる。石積の流れた辺りの道は細く、谷底から10mばかりの落葉の上を、恐る恐る降って行く。度々出て来た、割木を横に敷いた古い橋は閉口であった。渡した杉の丸太は古く、中央下の補強材は既に補強の用を成して無い。巡視員が使っているかどうかは不明ではあるが、これに命を預ける程の価値はあるまい。

結構長い谷道を抜けるといきなり舗装道路、前の川の土手には閉鎖されたキャンプ場があった。ここで位置を確認、ここは亀岡市・七谷川、目指した牛松山はひとつ東の尾根であった。越畑までは、目の前の道を辿れば約1時間、まあ想定内の距離ではある。キャンプ場の木のテーブルをお借りして、汚れた衣服の掃除と遅めのお昼、狭い空には青空が覗き、傍の桜でも咲けば春である。

前の小広い路肩に車が2台、降りて来たのはお若い男性4人組、持ち込んだ荷物の多い事、明日朝のテント撤収は雨の中かも。牛松山へは、近いうちに歩く予定だ。


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