■ 若狭・古屋〜洞峠〜天狗畑
・・・・2019年11月23日
2019.11.24

何度か通った事のある小浜への道、が今日の様に濃い霧は初めてで、丹波の盟主「長老ヶ岳」の西側に周り込むルートは地図よりも更に遠い。渓谷に続く道に、対向してきた大型のダンプカー、バックするくらいは何でもない、がダンプカーとは、この先が心配だ。

少し走ったところに採石場の様な施設があって、ダンプカーはそこから出入りしている、やれやれ道は安泰。と思った直後に道を塞ぐゲートがある、「台風による道路毀損の復旧作業、許可無く侵入禁止」で立ち往生、この先の古屋(こや)集落に住む住民は数名とか、許可がなくとも良いやろう、と思いながらも、深い谷間に轟く重機の音は、黙殺するには余りに大きすぎた。古屋公民館まで残すところ2・5キロ。

広めの路肩に車を置いて、少し歩くと工事現場、見上げるばかりの左手崖が、谷に崩れて落ちた跡、無理な道路造成の結果とは言えよう。この道はそもそも、何れは美山側まで通じる事を期待された道らしい。トンネルなら現実的だが、100mを越える崖を作る工法には無理がある。陽が登るに併せて霧が晴れだし、谷底から相当高所で得られる展望は素晴らしい。

陽に煌めく、紅葉に染まる山々の間に、誠に小さな古屋の集落が見えてきた。地図を見ても、周辺の山々に針葉樹の山腹は少ない、特筆すべき希少な地域である。深い谷間、とりわけ斜度の緩む辺りに集落がある。驚いたのは、大小を問わず、水の流れる谷川扇状地は須らく開墾され、頑健な石積みと同時に今に至っている事だ。この様な集落は始めて目にした、と同時に今も残る集落は数軒、そのうちに蔵を持った家が3軒もある。勿論今は、数人を残して離散した後である。

見たところ、生活の痕跡を残す家はただ1軒のみ、昇ったばかりの秋の陽射しが、あまねく集落を照らしていた。最上流の住居跡を過ぎると、新しい道と合わせて暗い植林の道を、川に沿って登って行く。川には小さなトラウトが泳ぎ、澄んだ水を湛えた淵などは青みを帯びて、嘗ての耕作地に杉の木が影を落とす。

栃の実が名産だと云い、栃の木の林が上流域にあるらしい。そのような看板はあちこちにあった。集落の外れから尾根に登る予定であった、が目の前に迫る山裾は殆ど崖状で、今日は素直に峠道を行こう。峠道入口に立つ祠、石仏様のものらしいが、肝心の石に彫られたお地蔵様が見当たらない。故意に持ち去ったものがあったとしたら、何れ神罰が下るであろう。

急斜面に続く峠道は歩きやすく、イワカガミの覆う辺りは快適である。話し声に後ろを見下ろすと、ご夫婦らしいアベックが後に続いていた。やはり工事現場から歩いたものだろうか。高度を稼ぐと展望の拓ける場所もあり、目の前に、目指す「天狗畑」が聳えている。途中にはやはり石仏を安置した祠があって、明智光秀がそうした事を奨励したと云う。

尾根に乗ったところで賑やかな「洞峠」に着いた。無人ではあるが、毎年訪れるらしい皆様の大型集合写真が数枚、峠の謂われなどの側に飾ってあった。こんな峠道も珍しい。ここを東に下れば美山、国道162号辺りに降る。南北に延びる尾根に踏み跡は殆ど無い、北側の天狗畑方面には赤テープがところどころ、南の地蔵杉・長老ヶ岳方面はヤブっぽい。

天狗畑方面は松林、紅葉も手伝ってとても明るい尾根が続く。暫く歩いたところに「巨大ブナ」が立つ、樹齢にして300年くらいか、背の低いゴツゴツした個体である。ピークを踏んだあとは降りに転じ、ここにあるブナは胴回りこそやや細いものの、エンタシスの柱の様に立派で綺麗な木であった。直ぐ下から目指す天狗畑までは1・4キロの表示がある。更に降った辺りの表示でも同じく1・4キロ、他人の判断を安易に信用するな、との教訓だと理解する事にした。

左手眼下に古屋集落が見える辺りの紅葉、秋の陽射しを一杯に受け、微風にそよぐ様は見事と云う他無い。暫し汗を拭きながら、楓やブナ、コシアブラなどを鑑賞し、さて目指す山はと見ると、果てしなく、直線的に延びる急斜面、ここからの高度差200mは、500m程にも思える程の苦しい行程であった。

バテバテで登り詰めた天狗畑、「畑」は不明だが、天狗の名を冠するだけあって、何処から登っても厳しいお山であった。その割には三角点からの遠望はそれほども良くない。陽射しの中でお昼休息、この季節では滅多にない温かいピークであった。降りの途も、冒険を避けた往路を辿るコース、何しろ日暮れの早い時季、明るいうちに降りたい。後続のお二人は峠までだろうか?、声は聞いたようだが姿が無い。


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