■ 京都西山・越畑〜つつじ尾根〜愛宕山
・・・・2019年11月16日
2019.11.17

今回の愛宕山はツツジ尾根から登って越畑に帰ってくるコース、嵯峨水尾・保津峡辺りの秋の様子を絡めてみた。高雄辺りの秋も見たいとは思うのだが、京都市内を経由する移動はこの時期は殊に勇気がいる。降ってくるジープ道にほど近い物産館前の路肩に駐車、目の前に広がる棚田の道に、地元の軽トラが往き来する。

用意を整え歩く府道、下界の紅葉もピークらしく、庭先の木に、たわわに実った黄色い柿、お山の熊にはさぞご馳走であろう。がしかし、お山の熊さんばかりが飢えるわけでもなく、越畑辺りの野鳥にとっては、冬場の貴重な食料なのだ。ジープ道を過ぎ、詰まらない植林の道を歩いてやっと神明峠、地図を見るとここからの登山ルートは、針葉樹の記号ばかりの続くルートである。峠を過ぎると、眼下に嵯峨水尾の集落が広がり、俄に秋色が飛び込んでくる。

水尾の名物は柚子、柚子の畑に立ち働く人影がポツポツ、側のカゴには収穫したばかりの柚子が半分ほど、手を延ばせば当るくらいの距離ではあるが、流石に柚子では手は出難い。サイクラーも盛んに通る道である。秋も本番を迎えて未だ閉まる茶店、ネットでは、この茶店に立ち寄った話も出てはいた。水尾を過ぎ、降りの勾配が増した頃から歩く人の姿がある。山装束の方々もあり、ところが皆様は川辺の道、暗くて湿って冷たい道だ。因みに陽射しの無い辺りの気温は4度しかない。

保津峡駅の、赤い橋が見えだした辺りで2時間を超えた。前を歩く2人のご婦人は駅方面に消えて行く。橋の前を道なりに左へ、と、轟音に振り返ると電車が滑り込んだところであった。道路横の登山口から見上げるルート、躊躇する暇も無く岩尾根に取付き、高度を稼いだあたりで再び起こる轟音に振り返ると、長いホームに佇む人影が2つ3つ、背景の岩や紅葉に良く似合う。

ちょっと厳しい岩場を過ぎると快適な灌木の林が続く。ツツジの咲く季節を想像しながら辿る山道の裸の枝先に、狂い咲きのツツジがあちらこちら。寒冷な季節を経ない開花は勿論狂い咲き、がいつまでも続く暖かさで、植物の習性に幾らか変化が起こっているとしたら、彼らも新たなスタイルを探している事になる。なにぶんにも彼らの生活史は我々より長い。

鈴の音を響かせ追いつき、追い越して行く単独の男性は、何れも相応のお歳である。落葉樹ばかりに見えたルートに植林が出て来て、暗くなった林の中に「庚申峠」の遺構があった。嘗ては茶店のあった峠で、水尾の人達の米買道であったらしい。ここに達すると京都の街が見えたとか、辺りに植林が無い頃の事とある。昼なお暗い植林ルートは廃れるばかり。

といった懐古の念は直ぐに消える事になる。ここからは、見上げる様な山腹が続き、白く渇いた、土の露出した途が、ほぼ直線的に続いていた。土はよく滑るし陽射しはキツイ、終いにはやっと膝を挙げている始末で、あのおじいちゃん達の健脚には頭が下がる。陽だまりの枯木に腰掛けた単独女性が昼食の最中、こう厳しくては昼食は貴重な休息である。

次に出て来た椅子代わりの倒木の上で同じく昼食休息、汗ばむ体は冷えるのが早い。一枚重ねて歩き出すと直ぐに表参道に合流した。振り返るツツジ尾根ルートに案内は無い。少し登った水尾分かれの小屋の前、多数のハイカーに混じって4人の白人、その2人の女性の早い事、重ねた服を仕舞う間に見えなくなった。後に続く男性は目の前で、種族は違えど、女性の持久力が勝っている事は同じらしい。

上がらぬ膝に階段道は厳しかった。賑々しい愛宕山境内を抜けると途端にひっそりとして、それでも竜ヶ岳辺りの林の中にはハイカーの声がしていた。今日のジープ道は幾らか優しい、容赦の無いツツジ尾根の斜面に比べれば、降るばかりのこれくらいは何でもない。新しい、小さな4躯が降っていった。あれでは資材は運べ無い。駐車地側の、神社のもみじは今が見頃のグラデーション、今日一番は目の前にあった。


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