■ 中国山地・上山高原〜畑ヶ平〜扇ノ山
・・・・2019年11月02日
2019.11.4

海上集落へ右折したところに看板が出ていた。マラソン大会などと記してあったようだが、この狭い道、大会関係者の車が集まればどうなるだろう?、といった心配は杞憂であった。地名を頼りに地図をみたところ、谷を詰めた先の事で、上山高原とは無関係、風に揺れるススキの穂の波は泰然として、紅葉に染まる山の端は輝いている。

青々とした芝に染まる避難小屋の前の広場に、止まる車は僅かに3台、帰って来る頃にはどうなっているだろう。前回は雨に煙る、夕闇迫る左馬殿道であった、今日は秋の陽に染まる明るい道である。と云いながらも、半ばを占める杉の林は小屋裏に続いている。先行者の踏み跡も新しい道を辿ると、右手に伸びるトロッコらしい軌道跡、原生林に続くそちらにもまた登山道が続いている。静寂の森に突然響く口笛の音、何方か帰還されたらしい気配である。

植林地の間にも、小さな流れの沢があり、点在するブナの林は煌めいている。木地師の墓の側には住居跡だと思われる平坦地がある。直ぐ先の家跡も合わせ、今を去ること150年前、地方主要道に軒を並べた家々からは、案外賑やかな声が響く事もあったかも知れない。今に残るお墓の主は女性ばかりであった。降りの多いルートは早い。

左馬殿道が終わると畑ヶ平の舗装道路に出る。道路の両側に残る原生の森には巨大なブナが林立し、今を盛りの紅葉は林床を染めている。森に見惚れていると軽トラのコンボイに轢かれるところであった。落ち葉を飛ばして走行する軽トラの荷台は一杯の大根、駆け足で進み出した季節(夏は長かった)は早い。樹林の影に入るとひんやり、早朝の気温は7度であった、高原の大根はさぞ甘くなった事だろう。

樹林が切れて、畑地に出ると汗ばむ程の陽射しがある。そんなところに乗用車が1台、ここまで入ると楽である、楽のし過ぎで済まない様な思いがして止した。畑ヶ平登山口を登り始めると木橋が壊れていて、真新しいオフロードバイクの痕跡が残る。登山道の土は飛び散り、猪の工事跡に等しい。が、それは人と文明の痕跡である。陽だまりでお昼を食べ、歩き出したところへオフロードバイクが3台、何れもよい歳の方々である。明らかにバイクに削られた登山道、これを補修する方々もおられるのだ。

バイクが去った後の山は愈々静まり返り、葉を落としてしまった山の端の巨木の作る稜線が迫って来る。そんな道を降って来られた3人組、下の車の主に違いない。山頂直下の尾根に出て、大ズッコ・小ズッコに向けて降る時刻は15時頃、西に傾いた陽光に光るブナの幹、一日の終わりの光景だと思っているところへ登って来る登山者は後を断たない。「泊まりですか?」と尋ねた応えは「2時間くらいで戻れるでしょう」、近頃の登山スタイルであろうか。

始めて見る広大な西側稜線、葉を落とした明るいブナの純林を降り、着いた河合谷登山口に残る車が6・7台、水の側で語らうお二人、ここから上山高原までがけっこう長い。陽射しの落ちた辺りは寒く、歩きながらも手が痛い。鳥取で3番目に太いと云うブナの在り処を探しながら駐車地に着いた。車は10台ばかり、テントが一組と木のテーブルを3つ使った宴会風の団体さん。ススキの葉に露が降り始める時刻であった。


CGI-design