■ 台高・木屋谷川から馬駈場
・・・・2009年10月31日
2009.11.2

木屋谷川は、千秋社事務所なる山家からは初めてである。ここからオフロードとなり、向かいの尾根に残る自然林の照り返しとあいまって、10月も末日とは思えない陽気となった。

先週にはあった梢の葉は、今日は林床で陽の光を反射して眩しい。

多少汗をかきながらも、右岸に渡る橋の上から、台高の尾根が見えたときには、上高地から覗く北アルプスもかくや、と思わないでもない。何分にも上高地などと上品なところには無縁であるので、口に出さないのが無難である。

橋を渡ると無人の造林小屋がある。小屋傍の流れには、白い巨岩が幾つもあって、清冽な小滝と砕けた砂利を敷き詰めた、真に涼やかな流れになっている。この谷でヤマビルの噂は聞かないので、夏などには勿体ないほどのところである。

曲折したところに車が3台、川に沿った路肩に数台、再び橋を渡る手前にも数台、登山口は下とこことで2箇所の筈、何ゆえこれほど離散したところに駐車する必要があるのやら。よくはわからんが、そのようであった。橋を渡って直ぐに、左岸に沿って川に入った。他にも歩く人があるらしく、薄いけれども確かに踏み跡がある。

暫くは踏み跡も残っていたが、土台もろとも流されたところが多くなり、そのまま沢を遡行する。水面には、赤く、黄色く紅葉した葉が流れ、流れの中はさながら錦を散らしたようである。日差しがあるところでは、これが一際輝きを増し、梢の中から水の中へと遷移した秋があった。白い岩に囲まれた谷底は、今日に限って非常に暗い。

狭い空には青空が覗き、陽差の射す高みでは、林床の落葉が、煌めくばかりに光を反射するので、山自体が輝いているように見えるのだ。谷底は否応なく暗く映ってしまうのである。苔の少ない、歩きやすい岩場を辿ると、未だ乾かない足跡が二つ。沢装備の二人連れが先行している。滝場に差し掛かると、登山靴では高巻きは止む終えない。先の沢やさんもやはり同様のコースであった。

長く浸すと水漏れのする左足を庇いつつ、何とか辿りついたワサビ谷出会い。本谷にはとても登れないほどの滝が架かり、両側は深いゴルジュとなって、とても高巻くところではない。ワサビ谷にも3段ほどの滝が架かって、これ以上は進めない。左の斜面に逃げると登山道に出合った。地図を見ると、どうも低すぎるようにも思われる。がしかし、登山道には間違いない。

ワサビ谷の入り口に「殉職の碑」があった。滝壺までは30m以上はある。殉職とあるから、救助隊の一員で、恐らくこの場で落下したのか。滝壺をへつる登山道の下には、錆びた鉄網が掛かっている。今ではその効果は疑わしい。滝場を越え、トラロープに助けられて尾根を越えた。やはりこのルートは地図と違い、一般登山道にしては厳しすぎる。古い地図をあけてみると、どうもこれがぴったりである。どうやらこれは廃道だろう。(廃道ではなく現役でした。後日)

尾根を越えても厳しい斜度に沿った道が続く。奥山谷出会いでは、消えたルートは本谷の中にあった。谷を越えた処で、レンガを使った炭焼き釜跡があった。レンガを使ったものは初めて目にする。明神平へは奥山谷に沿って登る。本谷に戻り、水量のやや少なくなった谷は些かは歩きやすい。左右から谷が出会う処で滝が出来る。滝は越えても行かれようが、ゴルジュは登山靴ではちと不味い。

急斜面にへばり付き、緩やかになるまでは山腹を歩いた。ときおり赤テープなどがあるのは、同類があるからで、褒められたものではないが、やや安心する。沢タビの二人は暫く先にあるらしい。濡れた足跡が岩の上に新しい。時計を見るに、そろそろ尾根に上がる頃である。夕日の沈むを17時とすれば、16時にはテントの設営を終えたいところ。

明るい谷を何度か探り、最後に、谷の水とビールをビニール袋に入れて、ミヤコザサの綺麗な尾根を登った。予測の通り、馬駈場の西側凡そ100m。南風が予想以上に強く吹きぬける。テントを張る間に、陽は西に傾き台高の尾根に差し掛かった。火も小さいながらチロチロ上がり、少しく冷えたビールと温かいスープ。

西の空は名残の茜色、暫くすると、望月に少しかけた月が煌々と辺りを照らし、星さえ幾つか煌めいている。轟々と谷を揺るがす風の又三郎も、悄然と木魂する鹿の声も、テントの中まではとどいてこない。


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