■ 京都西山・越畑〜水尾〜愛宕山
・・・・2019年09月22日
2019.9.23

台風の影響で遠くは無理、ならば近場の地蔵山を歩くべく、いつもの様に越畑の空き家の側に車を止めた。かなり強めの風に加え、見上げた地蔵山の上空は黒雲ばかり、芦見峠から先のルートは暗がりを歩く事になる。せめて明かりを!、と云う事で、登りを愛宕山のジープ道に決め、府道を樒原までテクテク。秋の草花の一つでもあれかし、と探しては見たものの、赤いゲンノショウコとヒメジオンを僅かに見るばかりで、軒下で咲くカリガネソウ一株には驚いた、台高・明神滝以来の邂逅であった。

ジープ道の前まで来て、待てよ、府道を歩けば保津峡辺りに通じる筈、神護寺辺りから愛宕山に登れば新奇なコースになるだろう。愛宕神社に参ったのは数あっても、京都側からのルートはまるで知識が無い。時々車が通り、サイクラーが通り、苦しい息づかいのトレランが通る植林の続く暗い道、目ぼしいものと云えば久しぶりに見るカエンタケ、猛毒のキノコはこんなところに息付いていた。

深い谷の、山腹に続く道を歩いて一時間、目の前の開けたところが「神明峠」、谷から続く道は、巡視道・登山道となって、愛宕山に続く尾根に消えている。越畑から見る愛宕山と違い、ここから見る愛宕山は威圧的で、周辺の山河を見下す京都の盟主に相応しい山容だ。下の方に集落が見えてきた、もう少し行ってみよう。清和天皇陵の案内を過ぎ湧き水を汲むご夫婦の前を抜けると柑橘系の果樹園が表れた。嵯峨水尾と云う、斜面に貼り付いた小さな集落で、谷側の展望が拓け、柚子が名産らしい。

愛宕山への登山道の標識を、男性二人が登って行かれた。集落外れまで歩いて、愛宕山へ登り始めた細い急斜面の路地を、道幅一杯の乗用車が登って行く。直後、静かな集落にタイヤの滑る音、何事?、と路地を曲がったところに立ち往生した先の乗用車、厳しい斜面の細い道、顔を出した男性が、「この道で愛宕山まで行けますか?」、え?、始めて歩く道とはいいながら、迫る山腹を目の前にして、車で登ろうと云う方が居ようとは、、「やめた方が良いですよ」。くの字で登るほど厳しい道、後方で起こる女性二人の大笑いの声。

舗装が切れたところから登山道が始まる。標高差はジープ道より200ほど多い。綺麗な広い道は急角度、どこまで歩いても急角度、水尾集落を眼下にしても急角度、ジープ道より厳しい道である。幸い台風による風ほどは常より強め程度、が、「水尾わかれ」の避難小屋では、ゆっくり出来ない程の強風が吹く。東側に降る道は清滝辺りからだろうか。愛宕神社に続く道は尾根の西側で、ここに入ると風は緩い。

「花売場」の小屋の前、嘗ては、水尾の方々が、お供え用の花を売った小屋とある。斜度は緩くはなったが階段道は応える。その階段道を1キロほど、黒門と銘打った大きな門を通過した。神仏分離以前の仏門跡であるらしい。風が再び強く吹くようになると山頂直下の愛宕神社、暗い空に加えてガスの流れる荒天である。神社設置の避難小屋で温かい食べものでも、と入った避難小屋では火気厳禁、山ラーメンは禁止なのだ。何でも禁止になるな〜、住み辛い世になった。小さなものを連れた団体さんも困惑顔。

降りはジープ道、山頂植林帯を抜けたところでショルダーバッグを持った若い女性が登って来られる。こちらを見ながら微笑むその格好は、凡そこの道を登って来る様なものでは無い。靴も滑り止めが無いから降りは何処か他所から降るだろう。ボブスレーのコースを彷彿させる曲がりくねったコンクリート道を降った先に、拾った小枝を頼りにそろそろと降る女性、少し先を降る男性。お話を伺うとなんと、水尾の乗用車の方々であった。お二人は敗退、お嬢さんは一人で神社に向かわれたとの事、呆れたご家族、何と楽しいご家族が居られたものだ。
何も無いので助成は出来なかった、が、後日是非、装備を少しだけ整えて、再挑戦を期待したい。


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