■ 中国山地・氷ノ山
・・・・2019年09月14日
2019.9.16

横行渓谷から大段ヶ平(おおだんがなる)への山道は、国土地理院の地図に、点線ではあるが確かに記録されている。とはいいながら、実際に渓谷の道を走行してみると、歩きたい道とはほど遠い事が良く分かる。両岸は目を見張るばかりに急峻で谷も狭い。ところどころに登れる程度の緩斜面はあるものの、釣られて行った後の後悔はしたくない。割れ石の散在する道の片隅に、休息所らしい小屋があった。見れば「平家ヶ城跡」と書いた看板がある。

由来を読んだところ、合戦に敗れた平家の姫様一行が、一時身を隠した場所とある。深山幽谷を形にしたこんなところへ、如何に追われる身であると云いながらも、やんごとなき姫様等が潜伏するとも思えない。横行の集落辺りでさえ、充分遠隔の地であった時代である。ま〜後世の人が面白く伝えた部類の話であろう。(城らしい遺構は実地踏査で確認されているらしい)

先は長い事は承知でここからは徒歩、距離・高度差ともに充実したルートになる予定、渓谷見物も兼ねている。歩き出した辺りは両岸ともに峻険な岩場、陽射しの届かない谷底にそそり立つ巨木、まさに渓谷と云うに相応しい景観が続く。路面には崩れた割れ石・土砂が積り、この先到底車での走行は無理、と思わせた。

ところが、カーブを曲がる度に厳しい渓道は遠ざかり、代わって、杉の人工林に覆われた浅い谷が続いている。軽トラのご夫婦が、さも珍しそうに眺めて行った。こちらは、珍しいもの一つ無く、一箇所、地下水の滲み出す急斜面に咲いたツリフネソウは鮮烈な印象であった。国土地理院の地図によれば、目の前の廃道らしき林道を登れば大段ヶ平に近い。しかしこの荒れよう、林道の方が余程まし。

ちょうど車の轍が通る辺りに、長々と伸びたマムシがいた。少し登ると、帰って来た軽トラが止まった。顔を出したおじいさんは「氷ノ山に登る?、まだまだ長いで!」と驚いていた。助手席のおばあさんさんは寡黙であった。振り返ってマムシのいた辺りを見ると、おじいさんはしっかり避けて降って行った。続いて乗用車が降って行った、マムシはどうしたろう?。

更に登った辺りで、2台の車に分譲した盛んなおじいさん一団の車が止まった。「歩いて来た?、凄いな!」、と感嘆の声。少し時間をおいて、賑やかな帽子を被ったおばあさんとおじいさんを載せた車が登って行った。耳目を集めたのは当然である。そろそろ足が痛くなって来た頃、氷ノ山の外周道路に到達した。大段ヶ平は未だ遠い。

地図で想像する大段ヶ平は、平坦な見晴らしの良い牧場の様な場所である。今歩く道に加えて、直接は繋がらない下からの道もある。着いたところは広い駐車場に散在する車、周辺を埋める、色付き始めたススキ、唸りを立てるトイレの発電機、ハイクかツーリングか不明の人達が数人、賑やかな帽子の車も混じっている。

やはりチシマザサに覆われ展望の無い登山道、先ずは神大小屋まで登ろうか、先の事はエネルギー補給の後で考えよう。短い、標高差の少ないルートに拘らず、降って来られるハイカーが多い。賑やかな帽子のアベックとも遭遇、今日の氷ノ山は蒸し暑い。目の前を行く大きなザックのアベックは度々休みを入れ、追い付いたところが神大小屋であった。

小屋のデッキをお借りしてエネルギー補給、東尾根に降る方も多い。ご夫婦だと思われるパーティーが入口辺りに陣取られ、食後の一服は小屋の隅。こんな広大な山野における喫煙さえ非難される日本の禁煙は、ヒステリーと云わざるを得ない。そう思いながらも隅で吸う。

登っても「古生沼」までと決めていた工事中の山頂は諦め、降りルートはどうしたものか。大段ヶ平の降りルートらしき道には「立入禁止」、不測の事態は避けねばならず、どうやら無事に道を越えたらしいマムシの消息を確認して往路を辿った。確かに長いルートであった。次回があっても徒歩は無いな。


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