■ 中国山地・氷ノ山
・・・・2019年08月24日
2019.8.25

福定親水公園への道を急いでいると、広からぬ一本道を塞ぐ警察車両、よもや早朝から検問でもあるまい?。原因は、道に落ちた巨大な岩、帰りには綺麗に除去されてはいたが、車などはひとたまりもあるまい。氷ノ山への登山口である福定親水公園、なかなかここは遠かった。事前調査で想像していた、小奇麗な広場の瀟洒な公園とはいかなかったが、狭いながらも駐車場とトイレとキャンプ場を備えた立派なものであった。もっともキャンプ場の機能は既にないようである。

空いている入口に近い桜の木の下に車を止め、降りてみると随分と涼しい。盆明けから月末頃の涼しさは近年よくある事だ、が恐らくは9月には夏日が回復すると思われる。登山口に入って直ぐは谷川の河原を歩く。カップ麺を食べる登山者が二人、川を越え斜面を登るとよく整備された古道に出た。右には「布滝」を望む橋が架かり、滝はずっと上の梢に隠れた辺りから落ちている。真西に伸びる尾根に続く古道を辿ると「28曲がり」の道などと書いた看板があった。このような中途半端な数字を記してあるからには、実際にそれだけの曲折があるだろう。広からぬ急傾斜の尾根を行くのだから、そのくらいは止むを得ない。

暫く登ると左側に展望があり、激しい水音がある。水音の正体は「不動滝」らしい、が水音ばかりで終にその影さえ見えなかった。滝を見たくば葉叢の無い季節に訪れよ、と云われているに等しい。それにしても、よくぞこれ程も厳しい場所に道を作ったものだ。溢れる汗を除けば、人工林の全く無い明るい尾根は快適である。「連樹」と書かれた看板の前に、7種の樹木が融合した木があった。中心部あたりに、朽ち果てた杉らしい幹の痕跡があったから、どうもそれを苗床にした倒木更新らしい。

子供連れの男性が休息中、後方から小走りで迫る二人、お!、トレラン?、と思ったところで小休止、この後、度々後方で目撃はするものの、前に出ることは一度も無かった。斜度が緩む辺りに地蔵堂がある。避難小屋を兼ねた作りでけっこう広い。嘗ては、旅人に一夜を貸した事もあっただろう。少しばかりの人工林に目を閉じれば、谷が迫る辺りの明るい森は素晴らしい。

谷に掛る梯子を上ったところに木地師の家跡の看板、扇ノ山の左馬殿道の側にあった木地師集落と云い、辺りの山間部を抜ける道の側には木地師が多かったようだ。傾斜の緩くなった明るい樹林の道を暫く歩き、尾根に出たところが氷ノ山越えの峠である。降った先の鳥取の山並を見下した時の感慨は如何ほどであったか、側のお地蔵様は黙して語らない。

降れば因幡、右へ登れば赤倉山、ハチ北高原へのルートだ。左に歩いて避難小屋を過ぎると先行する方々に出逢うようになる。中には、ただ煩くて我儘なパティーもあって、有名どころにつきものの煩わしさ、この様な場合は、素早く追い越す他は無い。目の前に聳えるピークを超え、若桜からの登山道に出合うと、愈々氷ノ山ピークの山小屋が迫って来る。降りの方々とのすれ違いも多く、先ほど、殆ど走るようなスピードで登っていかれた細い女性の姿もある。

山頂の山小屋は改修中で利用出来ないとのこと、木陰の無い山頂は留まるところでは無い。ツヅラ折れの階段道を登ると、ところ狭しと資材の置かれた山頂で、下の小屋も同じく改修中、こうなると最早降るしかない。往路は東側に降って周回しよう。直ぐに出てくるのが「古生沼」、興味深い響きのある名称には以前から惹かれるものがあった。が、看板の指し示す辺りはチシマザサのジャングルで、相当の覚悟が無ければ立入る事さえ難しい。

ひたすら降ったところで「神大小屋」に出た。鍵の掛る施設ではあるが、木のデッキは休息にもってこい、お昼を食べて暫く風に吹かれていると、陽射しが恋しくなる程冷えてきた。前の大石に座ると温もりが有り難い。後ろの方で人の声が起こるものの、なかなか姿が見えて来ない。充分休んで東尾根コースを降る。降るチシマザサの道に、のんびり、餌を啄むヤマドリが5羽、育ってはいても数からみて、雛に違いない。ここまで人を恐れないヤマドリを、始めてゆっくり見た。尻の羽根は赤い。こうした事を含め、樹林帯まで降り、湧水の様子などを伺う間に、後方の声の主3人がやっと現れ、降って行く。その歩みは極めてゆっくり、である。直後に、顔を紅潮させた単独男性が降って行く、これは早い。

前の3人がゆっくりなので、合わせてゆっくり、休息中の避難小屋前で再び前に出て、そのまま登山口。東尾根コース登山口である氷ノ山国際スキー場は広く、雲の拡がる空のお陰で風も涼しく、即ち、天意を得た林道歩きは至って快適で、大きく育つウド、紫の花を付けたナギナタコウジュを見るのは始めてでは無かったか?、枯れたものは鈴鹿・御池でよく見たものだ。柑橘系の匂いのする香草である。


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