■ 丹波・烏帽子山
・・・・2019年03月09日
2019.3.10

青垣から見る烏帽子山は文字通り烏帽子、東の福知山側から見ると富士山型で、地元富士の名で呼ばれるらしい。生き物ふれあいセンターの駐車場の階段を登った施設の庭に、今年は未だ見ていないセツブンソウの小群落があった。朝の冷え込みで一面真っ白な中、陽射しに煌めくまことに小さな茎の先に、開花を終えた種がある。盛りを過ぎた花も2・3、残念ながら既に生気が残っていない。

梨木峠までの道をブラブラ歩きながら、芽を出し始めた青いものの中に、春の妖精を探して見た。タンポポは元気な花を咲かせていた、がセンターの方が仰有る「セツブンソウの様な花は何処にでもある」のはここ以外の事らしい。役目を終えた産廃処理場の先のお地蔵様、お顔の判別もできないほど摩滅している。そして道は2つに分かれ、右は剣呑な橋で左は崩壊地、何れ同じ道になるものだと考えて左の崩壊地を越えた。

2年ほど前に歩いた筈だが様子を殆ど憶えていない。踏み跡らしいものの残る谷の道は、見ようによっては古い峠道に見えて来る。急傾斜の谷を塞ぐ倒木などを超え、流出した川岸を避け流れの側を黙々と登って、はて?、こんなに長いようではなかったような。今となっては人か獣か不明な踏み跡らしきものは続いているのだ。その踏み跡らしき痕跡も、いつしか全く見えなくなって、谷の源頭部を伺うとピーク辺りに突き上げている。

既に歩き始めて1時間は経った、生い茂る杉の木を縫って、辛うじて届く陽射しの中で現在地を確認、スマホは便利なものである。厳しい谷を捨て、緩い山腹を尾根まで登ると見覚えのある登山道にであった。センター展望所から続く登山道である。目指す烏帽子は谷源頭部の直ぐ先、谷を詰めたらなお良かったかも?。アキレス腱の痛くなる程の急斜面を登り切ると堀が2つ、戦国時代の名残のある烏帽子山ピークだ。

烏帽子山城跡と認めた石柱が立つ、が城とするには余りに狭い、砦・物見櫓あたりが妥当なところ。不用意に踏み外すと何処までも転がりそうな崖が東西にあり、南北に続く細い尾根を頼りにせざるを得ない地形は物見・防塁に適している。ザックを置いて一休み、がすぐ側の採石場の重機が立てるノイズで酷く煩い場所であった。烏帽子山は日曜日が良い。

下山は、往路で辿る筈であった梨木峠道を歩き、峠の位置を確定したい。明るく開放的な尾根道は良く踏まれたものだ。梨木峠が青垣と福知山との間に出来たルートであるとしたら、このルートは何故出来た?。随分古くから使われたルートであることは間違いない。まさか戦国時代のそれが今に残るだけとは考えにくく、南北の移動時にはこのルートが使われ、梨木峠は三叉路の峠であったとすれば納得出来る。しかし、かなり厳しいルートであるこの道を、何の目的があって利用したのか、興味深い。

温かいザレ場の上でエネルギー補給、マンサクは満開、始めてみた灌木に咲く花は、ヒュウガミズキと云う花であった。荒廃し、名板も無くなった梨木峠からほんの少し歩くと危険な橋に出た。川を渡りお地蔵様にご挨拶、お地蔵様、きちんと教えて下さいよ!。


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