■ 台高・薊岳〜明神平
・・・・2018年12月23日
2018.12.24

薊岳〜明神平を周回するコースは前半の殆どを暗い杉の林を歩く。けして綺麗な、清々するような展望が多くある訳ではないのだ。山体が大きく、高度差、距離共に備わったこのコースを歩くとやった様に思えて来る。今日などは雪も霧氷も無い退屈な行程になる事は分かりきった事だ。明神平なら時節柄、ちょっと早いクリスマスを山で過ごしたい方々もおられよう。そんな車が上の駐車地目指して登って行く。笹野神社の前は地元車両で一杯だ。年越しの大掃除の最中で、見ればお年寄りばかり、ちょっと目があって挨拶をすると「お気を付けて」が返ってきた。

神社から50mばかり登ると登山口に続く道に出る。これが思いの他厳しかった。これからの1000mを思うと何とも心細い。朽ちかけた豪邸を過ぎると杉の林に入る。台高の稜線辺りに指す日差しは、ここには届く事が無い。湿度気温とも高めで、周辺の山河を覆う雲海も、時折漏れる小さな木洩れ日の中に、白々と立ち昇る烟を見るだけで、代わりに溢れる汗は夏場と変わるところがない。

軽トラの轍の残る細い林道が終るとここからが長い登山道、道中の慰めになった10年ものの細いブナは、杉林の雑草として切られていた。無惨な事をする。こうなると大鏡池までの道中のマイルストンとなるのは偽鏡池、途中で明かりの漏れる地点と云えば他にない。ここで休むと後が長い、半分に満たない距離しかない。大鏡池の手前は傾斜の厳しい途が長々と続く。膝が上がらなくなって度々尾根の明かりを眺める事は何時もの事で、同じ調子の途にどうも気合が抜けるらしい。膝の上がらない後遺症は後の岩場で応えて来て、ただ気合が足りないだけでは済まない事になって行くのが常である。

大鏡池は明るくて温かい、このコース唯一の休息スポットである。午後からの天候悪化の予報にも拘らず、見上げた空に青空が覗く。難を云えば、切り開くために倒され放置された杉の木である。何とも歩き辛い。これでは、池の端に祀られた神様もきっと不足を云うだろう。やるなら最後まできちんとやれ!、とは神様の声。

エネルギー補給を終え歩き始めたところへお若いハイカーが降って着た。よく見ると登山道に残る往復分の踏み跡、薊岳だけにしても余程早くから登ったものらしい。雨は今のところ心配ない。厳しい斜度をこなして稜線に出た、ガスは流れるものの、切れると台高の山並みが良く見える。が油断は禁物、濡れた細尾根はよく滑る。加えてどうも土が減った様に思われ、細い尾根が更に細くなったように思われる。薊岳ピークに立った頃からガスが酷い。雪の無い落葉の尾根は未だ秋である。ガスは酷いが雨は無いからカラマツ林などを見物、今更ながら、この規模のカラマツ林は関西では始めて見た。明神平でテン泊だろうか、ガスの流れる釣り尾根を、犬連れで薊岳を目指す方がおられる。犬と一緒ならテントも温かかろう。

明神平に付く頃にはガスが酷く、目の前程しか見えて来ない。直ぐに降りに入ると小さなザックを背負う男性が登って来る。恐らく水汲みに来られたテン泊組に違い無い。更に、大汗になり大きなザックを背負った4人組が登って行く。今晩はクリスマスの先取りだろうか?、天候に不安はあるものの温かい夕べだ。ガスも手伝い辺りは既に黄昏どき。駐車地に彼らの他に車は無い、痛い膝を引きずりながら歩く他に術が無い。


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