■ 丹波・親不知
・・・・2018年03月18日
2018.3.18

親不知と云えば越後が有名、親子でさえ、お互いの無事を確認する余裕のないほどの難所だったそうだ。そんな難所が市島町にもある。こちらは低山の親不知で、越後のような難所なのか、もしそうなら、付近の山によくある剥き出しの岩場の続く尾根とか。しかし地図ではそんな地形にも思えないし、越後は正式には「親不知・子不知」、こちらは親不知だけ、歯の親不知だとしたら、何の事やら分からない。

登山口となる大杉ダムに着くと、これが案外に良いところで、静かな周回道路のところどころに車を止めた太公望の姿、池の水は折からの風で漣立ち、春の陽射しに煌めいている。とにかく静かなのが良い。ダム湖の奥にはキャンプ場があって、ここに車を止めると有料らしい。手前の駐車場は無料、周辺のサクラは残念ながら未だ蕾だ。谷川の注ぎ口を見ると小さい魚が群れている。

キャンプ場に続く道を歩くと直ぐに未舗装の林道に出て、これを少しは歩くのかな?、と目の前の尾根へと続く古道の跡、標識もまたそこを指している。アイドリングの余地も無く見上げた古道は、集中豪雨による土石流で一部通行不能、暫く斜面を直登して古道に乗った。この古道もまた倒木で通行に苦労するところが多々ある。加えて、猪による法面工事は殆ど全行程で見られ、やや歩き難いと云った程度ではあるが、ヌタ場は頂けない。道脇に、灌木に埋もれ半ば忘れられたようなお地蔵様があった。いつ頃のものだろう?

尾根に載ったところで、北側の福知山市との町丁界が出てきて、これには「竹田」と書いてあった。竹田と云えば竹田城、雲海の城、とするとお隣はその竹田?、そんな訳はないので、有名な竹田城は和田山市であったから、この北側の地域は別の竹田という事になる。尾根道に続く古道は相変わらず、少し綺麗なところはすべからく猪の餌食で、尾根を抜ける強風は、折角出始めた汗を飛ばしてしまった。

低い山のわりには続く急な斜面、緩むところは山腹のトラバース、古道は無闇にピーク等を踏む訳はないのだ。何箇所か、北側への分岐道を通過し、ちょっと展望の良い岩場に出た。眼下に青いダム湖が広がり、ダム湖源頭部を周回しているだけであるのを認識した。小さなアップダウンを繰り返し、最後にやや厳しい斜面を上り詰めると親不知。越後の様な難所はどこにも無かった。あえて云えば、里山近くに灌木・倒木等の無かった時代の古道周辺の斜面は怖かったと思う。そうした木は嘗て、貴重なエネルギーとして収集の対象である。

ピークから南の展望は先ずまず、他は木の枝で良くは無い。松の木に隠れた古いマップなどは、色は剥げ判読不能、南東の方角に地蔵山・愛宕山の形は確認出来る。嘗て、ここから京都の山を見た人々が居たとしたら、その距離に嘆息を漏らしたか鼓舞されたか。傾いたベンチに寝そべって暫し天を仰ぐと、いつの間に曇の多い空に変わっていた。

西側に降りると直ぐ、北側へ下降するだろう分岐道を見て、南西の尾根をひた下り、途中、左右の切れた細尾根などを経て、杉の葉越しに湖の青い水が見え出した。降りる予定の大原神社はどの辺りだろう?。降り立ったところはダム湖周回道路、目指した大原神社は、北側への分岐だと判断した方角であった。お陰で2時間は早い。


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