一月以上も降らない雨が、昨日は終日降り続いた。からからに乾いた台地に恵みの雨、大部分は直ぐに消えた筈で、芳しからざる曇天でも、それほどぬかるむような事もあるまい。
秋の趣を探しにいった朽木・梅ノ木、太公望の姿も大分少なく、久多下の町あたりは、静かに落ち着いた雰囲気に包まれていた。
通り過ぎた府大演習林前に車はない。林道終点まで行くと、真ん中に止まった車が二台、様子を伺いつつ待つ間に、大きな方の車両が動き、空き地を作って貰いはしたが、迷惑であることは十分顔に表れていた。
聞けば、今から谷川に面したこの辺りの杉を伐採するらしい。山の持ち主と伐採業者である。持ち主と暫く山の話をしながら、それとなく様子を見るに、必ずしも車の移動は必要無いらしい。
熊の話になると、業者の方にも笑みが漏れた。すばやく用意を整え、川を渉って滝谷へ向かったその後ろから、チェーンソーの唸りが木魂する。思ったように林床の泥濘は殆ど無い。谷川も8月の末と殆ど変わらない流れである。
何度か徒渉を繰り返すあいだ、濡れた岩の上はソールが良く滑る。馬尾の滝の高巻きに入ると国境尾根や派生尾根が見えてくる。満遍なく緑に覆われ、秋色は何処にも見られない。
高巻きで、凡そ100m近く高度を稼ぐ。だから息が上がるのは至極もっともなので、加えて滝のように汗が流れる。下を覗くとヒヤッとする、が汗が引くわけではない。水平道が終わると滝谷上部の谷に出る。
ゆったりした谷が暫く続くので、ここまでくると安心である。谷の真ん中に聳える大きなトチは、辺り一面に実を落とし、中には、ほぼまん丸な身の半分を覆う、真っ黒で光沢のある帽子が覗いている。
残り半分は栗と同じで、饅頭に似て、如何にも可愛らしい。熊、鹿、猪などが食べたものがかなりある。熊の足跡は残っていないが滝谷上部あたりには、何頭が生息していると思っている。栗の木に出来た熊棚、近くで感じた息遣いなど、確かな遭遇情報さえあるのだから間違いない。天狗峠直下に突き上げる谷を詰める。流れは細く、両側は狭く厳しい。
嘗ては谷の左側斜面を登り、尾根を経由して美山や広河原へ抜ける仙道があったらしい。険しい樹林の中に、痕跡を辿ることも出来るし、ハイカーの付けた赤いマーカーが残っているのはそんな場所にだいたい限られている。谷を這い出し、嫌になるほど厳しい斜面を這い上がって、尾根に着いた。葉叢を叩く小雨が残り、かなり強い冷たい風が吹く。
尾根道を巨大な杉の林立する天狗峠に向かって歩いたが、景色は8月末と何ら変わらない、林床にも何の色もない。昨日の雨から24時間、「24時間、働けますか?」といったようなテレビCMがあったが、ここでは「No」である。極めて健全な生体系があることの証である。ではあろうが、詰まらない。
あまりに巨大で、立ったまま板を切り取られた杉などがある天狗峠を過ぎ、かつては秘境であった天狗岳手前まで歩いた。今でも、ここまで来るには今日のルートのほか、僅かなルートしかない。暗い林床を徘徊すること小一時間、天狗を離れ、来たルートを辿り、滝谷を望める南限となるP927まで歩いた。結果はやはり8月末と同じであった。
リンゴを小さくしたようなオオウラジロノキの実が一面に落ちている。虫が食った未成熟の栗の実が落ちている。ミズナラの実が今年は多い。ブナの実の落果は確認していない。これくらいが変化と呼べるものであった。P927から、南のフカンド谷と間違えないように北の滝谷へ下降、厳しい谷を這うように降りてきた。
車に戻る直前、チェーンソーの音がして、大きな杉の木が倒れた。二台の車はかなり離れた路上に避難してある。山持ちが現れて、この上には滝があるのか、と聞いた。してみれが、この辺りの人ではない。道を空けてもらい、取り残された車を出した。随分明るい谷間になった。
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