■ 台高・薊岳〜明神平
・・・・2017年09月03日
2017.9.3

雲の多い天候にも拘わらず、23℃の気温は涼しい。最奥の住居跡に、沢山の動物の人形に飾られたお墓の様なものがあった。3匹の犬か住居の持ち主を偲ぶものか。空き家、空き地の目立つ道を笹野神社まで降ると、バス停から歩いて明神平へ向かうハイカーと擦れ違った。林道最奥の駐車場に向う車は頻繁に通る。神社上の道に出て、豪邸の下の作業道から登山道が始まる。

今回は始めて、虫対策に蚊取り線香をぶら下げて歩く。風の加減で、煙は前へ流れたり後ろに流れたり、薪を燃やす様な匂いと一緒に、テント泊の記憶がチラチラ。いつも思う事だが、記憶の登山道はいつも緩やかで登り易い、が現実の道は急峻で厳しい。作業道が尽きると、木の根の露出した本格的な登山道が始まる。何れも人工林の中だから、それほど感慨に違いは無い。作業道は機械によって造成されたもので、強引さが目立つ。引き換え、登山道は、人の足跡の積み重ねで出来たもので、山肌に沿った、婉曲な道が延々、続いている。見ようによっては、ただ心細い。

そんな、人工林の心細い道の途中に、小さなブナが育っていたりする。辺りはカナダ原産の杉ばかり、どの様にして種が運ばれたのか、風で運ばれるには、余程の偶然が重ならないと、有りそうに無い。リスなどが運ぶとしても、何処から持って来たのか、辺りは全て杉である。そんな事を思いながら、偽鏡池でザックを降ろして小休止、鏡池は未だ遠い。今日の朝食はパンとコーヒー、山歩きにはエネルギーが足りない。

鏡池に向けて歩きながら、エネルギーが切れてきた。これまで十分に出した汗に加えて、絞り出すような汗が体中から溢れる。お陰で、頭痛の種は解消した、がどうにも足が動かない。薊岳での予定を繰り上げ、着いた大鏡池の登山道脇で昼食、樹林の中で風が抜ける。13度しか無い気温では、長く留まれない。エネルギー補給が終わると直ぐに、薊に向かった。

一旦乳酸が溜まった後の行程は辛い、薊岳手前の尾根の起伏が酷く堪える。雪もないのに、殆ど這うようにして薊岳に着いた。ここの岩場は温まって居心地が良い。蹲ると風が届かない分、なお温かい。今日の薊は無人、踏み跡も全く無い。明神平に向かってブナの林を歩きながら、人の気配の減少と旺盛な植物の様子は好対照であった。いつも応える前山への登りは、今日は特別に感じなかった。それ以前に、すっかり疲れ果てていたのだ。

明神平には、見えている範囲、山小屋前と樹林の中に、テントが6張り、降りに入って、テント担いで登って来られた方々が3組、最後は、お父さんと8歳くらい女の子で、小さいとは云いながら、担いだザックは大いに膨らんでいた。滝上の、カリガネソウの小群落は、目に見えて増えていた。減少傾向の多い植物の中では珍しい。数年前まで、登山道横に咲いていた、草あじさいは、遂に見ない。


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