■ 京都西山・地蔵山
・・・・2017年05月14日
2017.5.14

田植えの済んだ水田、波打つ水、水に映る萌えいづる山々、高原に広がる春の色彩、18度ばかりの涼やかな風、長期に渡る国道閉鎖の為、迂回せざるを得ないルートの景色である。越畑に入ると、田畑で立ち働く人の姿、勢い良く流れる疎水の水しぶき、子供の姿もあって、行き交う車も多い。何時もの駐車地には3台の先行車、少し先に車を停め、無人となった家の庭先の、谷川のカキツバタの様子を確かめた。今年は花の開花が1週間程度遅いと聞く。カキツバタは未だ花を開いていなかった。

集落の細い道では、道の脇の囲いの中に、背を伸ばした孟宗竹のタケノコが数本、囲いに守られてあるのは、折って持ち去る人を想定した事だろうか?。無人の家だとばかり思っていた家の中から、明るいおばさんの声が響いた。家はそれ程も傷んでいた訳では無い。ただ、生活の痕跡が乏しい様に思えた。逆に、住んでいるとばかり思っていた、高い道の石垣と壁との間に、腐食の進む木材などを溜めていた家は、廃墟に近い状態であることが分かった。

こうした観察は、庭先などに、オダマキなどの花が咲き誇る今だから出来た偶然による。芦見峠道に入ると先行者の踏み跡が3つほど、コシアブラの葉も出揃い、タカノツメに負けていない。陽射しの溢れる峠で小休止、風の中に多少冷たいものも混じる。時に空を覆う薄い雲は、時間の経過と同時に消えるものだと思っているが、大きな雲が流れると、天気の崩れが気に掛かる。急坂の途中にあった、手折られたばかりのワラビ、しかしそれ以上の採集の跡は見られない。

昨日の雨に泥濘むところもある登山道、まだ残る倒木の巻道を利用するのは人のみならず、動物も良く利用するらしい。鹿のルートは登山者も利用するのと同様である。斜度の緩む植林帯の脇では、野鳥の生存競争が賑やかで、ジュウイチの真似をするオオルリは、未だ十分な技量が備わらない。ジュウイチは迷惑でも、鳴き真似の完成度が魅力を別けるのだから、オオルリも励まざるを得ないのだ。

時に鳥笛などを吹けば、彼らは更なる頑張りを見せ、笛に合わせてこぶしの効いた声を張り上げる。斜度の嚴しい辺りは笛を吹くどころか、汗を拭くのに忙しい。この辺りの芽吹きは他より遅い、様子を伺うべく東側に移動、伸びやかな原生林に近い植生が残り、林床にはウリハダカエデの新芽が出て、鹿の食害もここには及んでいない様に見える。その上、斜度も緩く大変に歩きやすい。アセビの茂るピーク手前まで歩いて登山道に出た。

アセビの林縁に花を咲かせたカタクリの葉は既に無い。未だ喬木の葉叢は僅かで、陽射しも十分に届いている、思い切りが良過ぎる様に思われるが、どうだろう。3週間ばかりのご無沙汰であったお地蔵様、の前には、石で多少ながら保護された株が3つほど、これには未だ立派な葉があった。お地蔵様のご加護がどれ程のものかは、伺い知れない。何しろ、おみ足を見せるお地蔵様だ。

三角点のあるピークに移動、ここまで今日は、1名の方しかお会いしていない。雨が降っても雪が降っても、この様な日は殆ど記憶に無い。ピークはやはり無人、木のお地蔵様の片手は、真新しい木の色も無残に折れていた、南無阿弥陀仏。ピークを降り、反射板跡を降り、愛宕山手前の日溜まりで昼食休息、その間にソロの男性1人、地蔵山目指して登って行かれた。この人は、ジープ道を降り、樒原から越畑への帰路にもお会いした。しかし、彼のものらしい車は、見た記憶が無い。代わりではないが、近頃は珍しくもなった猛禽トビの、水を張った棚田の上空を低く飛び交う様子は、初夏の点描と言えるだろう。


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