■ 丹波・金山
・・・・2017年03月26日
2017.3.26

春先の花があると云う、以前から気になっていた登山口、細い道に入ると直ぐ、追手神社というのに突き当たる。この神社辺りに春の花があるらしい。駐車場らしき広場は見えず、裏山と国道の間に、旧道に沿った家並がある。神社の横手に2台程度なら駐車可能なスペースがあった。境内の様子を見ると、ロープで立入りの制限された領域があるから、珍しい草花が有るのは間違い無い。

さてそれは何処だろう?。何と、神社の1mばかりの塀の上の、風にそよぐ草の群落は全て、花を付けた雪割イチゲ。残念ながら、陽射しの無い冷たい風で、開いたものは全く無い。初めて見る雪割イチゲの葉はやや毒々しく、花の色も妙に遠慮がち、その割には重厚な花を付けている。ミスミソウなど、消え入る様な雪割草とは大分違う。境内には他にも、絶滅の危惧される野草の他、巨大なモミの木が聳えている。

次には金山への登山口だが、きんざん、とは、豪気な名前の山である。地元の方に聞いたのだから間違い無い。調べてみると、そもそも追手、などと付けられた地名からして、財宝に関係があるようで、他にも、キンに因む地名は峠などにも付けられている。少し歩くと登山口に出て、暫く登ると観音堂がある。金山山頂には光秀が建てたと云う城跡があるそうだ。今ではトンネルで越えた山も、その昔は山越えをせざるを得ず、この道も往時の道である可能性もある。何しろ520mのヤマだから、尾根に出てしまえば後は楽。

尾根の手前で、先行する数名の男性が顔を出して挨拶する。結構賑やかな山なんだ。尾根に出て、暫く歩くと「滝跡」の看板があった。このような案内標識は見た事が無いので、踏み跡の殆ど無い急斜面の山腹を行って見た。結果、水が流れた事もあるだろう谷があり、他に、巨大な巌があるだけ。明るい尾根に向かって乾いた山腹を直登、すると、石垣のある広い遺跡で、立派な城跡だと思ったら、どうも違う。これは寺跡だと思われ、しかし何の寺跡等と案内が一切ない。近くを探索してみると、数基の墓と建物跡らしき平坦部が西側に続く相当大きな遺跡である。それでも案内は無い。

登山道に戻って少し登ると平坦部に出た。ここは馬駈場と書いた案内標識があった。本当にそんな用途に使われたかどうか、この様な場所は往々その様な地名が付く。更に進むともうピークしかない。ピークの手前に、明治・昭和・平成のトンネルへと続く道だと云う、親切な案内があった。何故、寺院の跡には解説が無いのだろう。ピークには、想定より広い城跡があった。展望も良く、春日の黒井城は北側の正面に見える。光秀の敵の城で、これを攻略すると無用になった城だろう。

陽射しの出て来た城跡でのんびりして、至る所に案内のある「鬼の架け橋」へ移動しよう。城跡北側に道がある事は、親切な案内地図で知っている。さぞや立派な、驚異の見ものがあるものと思っていた。北側を降る事5分、先行した男性4人が食事中、手に手にビールを持ち、ラーメンランチ。そして目の前の岩場こそ「鬼の架け橋」であった。人が二人ばかり立てる岩の隙間に、自然石の蓋が出来て、これを架け橋等と形容している。

見終わるのに2分、来た道を戻り寺院跡を降り、尾根道になったところで右の道に進む。降った所に大乗寺がある。道は直ぐに、植林に使われた広い道になり、植林された苗木は、栗や紅葉の落葉樹。滝跡の案内しか出せなくなった原因は、いつの日か解消されるだろうか。誰も歩かない道を降って、何やら床しく思える名前の大乗寺に着いた。一乗寺に良く似ていて、一乗寺は武蔵の決闘の場所であるから、何の関係も無い。

大乗寺は昼から法事があるらしく、袈裟姿の住職はバイクに跨り一足先に、その後5分程遅れて関係者の車が続く。追手神社まで約1km、途中、男性ハイカー諸君の乗った車が帰って行く。再び陽射しの消えた神社では、僅かに花を開いたイチゲが少し、場所を移すとニリンソウの花も一つ二つ。もっと降るとセツブンソウもあるらしい。


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