■ 丹波・白髪岳〜松尾山
・・・・2017年02月19日
2017.2.19

先週、春日から先は冬タイヤ規制が出ていて、当然ながら、主要道路の除雪さえままならない程、絶えず降雪があったと思われる。如何のように考えても、僅か数日で状況が一変するとは思われないし、見渡せば、篠山辺りの山には新雪が付き、量は少ないとは云え、温かくなった昨日今日でも雪は降る。

昨年の夏に登った白髪岳なら手頃なところで、お隣の松尾山と合わせて歩けば、距離程は稼げる。松尾山は、近くの山からの眺望はとても良かった、ピーク辺りの松の形と、山体がどっしりとして、白髪岳より余程見栄えがする。駐車地までの道に雪は無い、泥濘の駐車地に先行車が3台。過去の事例から考えて、倍くらいの登山者が山中にあるものと思われる。

日溜まりの果樹園に、剪定作業に勤しむお年寄りが一人。例に漏れず、この辺りでも若い後継者は居ないのだろうか。両側に杉の林が出てくると、その下は雨と変わらない。時々は、雨に混じって濡れた雪も落ちて来る。奇妙な鳥の声、と思ったら、後続に歩みの早い男性が現れた。追い上げられると苦しいので、今日は先に行って貰おう。

登山道に入ると体が重い、右手山腹に続く旧道は傾斜もきつく、これは崖と形容しても遜色の無い斜面だ。どこまでも上り基調で、知らない間に出来た新ルートに違いはなかったのだが、ピークには寄らないルートのようで、折角稼いだ高度を戻しながら、何時もの谷道まで降って来て、やはり崖に作られたジグザグの道を辿って尾根に出た。冷気に包まれた谷底から、光の溢れる尾根に登ると、光の中は温かい。

歩き辛い、岩の鎖場を抜け白髪岳ピーク、狭いピーク中央に座る白人?の男性、北側の岩場に、シートを拡げたお父さんと5歳位の男の子、賑やかな声を響かせていた団体さんは、既に降った後であった。南の岩場の一角を占拠して小休止。北の山々や東の山に混じって、多岐アルプス辺りの山肌は真っ白だった。白人らしい男性が去り際に、何か言ったようであったが、振り向いた時には灌木に消えるところだ。

篠山在住の白人男性は、白髪岳は我が山だ、と云って憚らなかった。おそらく彼のところのお客さんではなかろうか?。小さなハイカーに挨拶して崖を降る。少しだけ雪の付いた、荒れたロープ場は降り難い。お父さんは苦労するだろう。松尾山との間は綺麗な尾根道で、一度だけ歩いた事はあったものの、何も覚えていない。只、杉の木が空を覆う嫌な道であった事だけを記憶していた。

尾根道は、京都のユリ道に似て、古い生活道路だと思われ、広く確りした道は北側の集落に続き、篠山市街辺りに通じているようだった。松尾山が近付くと、思いの他登り道が長く、雪のお陰なのか山は明るい。平坦な地形が現れると山城跡に出て、ここが松尾山ピーク。ここには松と照葉樹ばかりで杉の木は全く無い。残念な事に、古城を偲ぶ何ものも残っていない。

かなりお年を召したハイカー5人組に追い付いた。彼らは今、降るところだ。彼らの歩みは早くない、適当な日溜まりで昼食休息、相当距離を空けた積りでいたが、急坂を降った卵塔群(お坊さんの墓)の前で追い付いてしまった。ここでお墓を少々見学、見ると直ぐ目の前に、正規ルート以外の道があって、踏み跡も濃い。以前はここから降りた様に思われたが、記憶は何も語らない。

皆さんを追って、山腹に続く、杉林の暗い正規ルートを辿ると、かなりのエリアに散在した遺跡らしい場所に出た。立派な石垣に加え、小さなお堂や、将軍の館跡、等と書かれた祠もあり、末期の室町幕府の時代を思わせる遺跡群が、暗い杉林に埋もれていた。お爺さん登山隊は、遺構の奥の方で道を見失なったと言いながら、引き返して来た。実際、道と云いながら、踏み跡も疎ら、古い道は杉の枝に覆われて、無しに等しい。

ここからは、谷川に架かる朽ちた橋等を見ても、正規ルートであった事は間違いが無い。が、登山口の絵図に、そんなルートは無い。かなり険しい、アップダウンの多いルートで、初心者向けのルートでは無かった。お爺さん達には少々キツかったに違いない。車に戻ったところで、小さなハイカーとお父さんにあった。少し空いて、白人男性が目の前を歩く。顔があったところで会釈をされた。駅の方まで歩く積りらしい。送って差し上げる事も出来たのだが、今日は日本の田舎を感じて欲しい、文明の利器は必要無かろう。


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