■ 京都西山・地蔵山
・・・・2017年01月29日
2017.1.29

越畑までの道程、田畑に残る雪は綺麗な雪景色を見せてはいたが、目を山に移すと冬枯れた寂しい林が見えるのみ、何処にも豪雪の気配が無い。気配が無いお陰でここまで来られた事は、当然理解はしていても、もう少し賑やかさが欲しい。などと、辺りの住民にでも聞かれたら、お怒りのひとつふたつは頂くだろう不埒な想いを胸に秘め、いつもの廃屋の前に車を止めた。

除雪された雪が、堆く路肩にあって、駐車場所の確保をどうしようか思案していたところ、着いてみれば、いつもの広めの路肩は除雪が行き届き、車2台程度の空き地は確り確保されていた。やれ有り難い。廃屋の屋根には凡そ50センチ程の雪が乗り、庭に残る踏み跡が1つ、ここに踏み跡をもう1つ残して、用意を整えいざ集落へ。集落の小径に残る、屋根からの雪、今日の温かさで溶けてしまうだろう。

芦見峠への道に残る踏み跡は多い。崩壊地の巻道は結構辛い、雪の上に残る先行者の踏み跡を確り利用させて頂いたものの、降りてみると、崩壊現場の横をすり抜けた足跡、むむ、無念。真っ白な芦見峠に、新たに出来た松の腰掛け、雪の重みに耐えかねた松が数本。陽射しもあって、眩しい雪面を前に小休止。登山道の横に残るワカンの跡。何処にでもこの様な人はいるのだ。今日の陽射しはここで終わり、このあとは薄日どころか、雨がやって来ると云う。夕方までは保って欲しい。

登山道を地蔵山に向って登ると、前からソロの男性が降りてきた。男性の足跡は途中で消えた、すなわち途中リタイア、雪の上では秘密さえ容易にバレてしまうのだ。調子良く、人が均した踏み跡を登って、ミッションコーラの崩壊小屋を過ぎたところで、今日の踏み跡は関電の巡視道に消えている。間違いであることは明白ではあるが、残された足跡は、消えかかったワカンだけ、ここからはやや疲れる道を進まねばならん。

ワカンの主は、かなり我儘なトレースを残し、沈むところもあれば固く締まったところもあったり、歩き辛い。新たにトレースを作ると、これも結構疲れるし、付かず離れず、急坂の下まで来た。これまでの溶け掛かった雪質に代わり、雪の結晶も残っているだろうくらいの雪になり、この先で、巡視道へ行った先行パーティが合流する道がある。彼らの声も聞こえていたし、戻ら無いで何処へ行くと云うのだ。

と期待していた巡視道合流地点に踏み跡は無し、数日前のキツネのトレースが残るのみ。1枚脱いで、汗を拭きつつ見上げた急坂の終わり辺り、7・8名のパーティが食事を始めたところであった。妙なところから出て来た痕跡、沈黙した方々、ただ一人、少しお若い女性だけがニッコリと微笑んだ。迷った挙句の事に違い無い。

彼らとは別に、2名のパーティが合流し、アイゼンの足跡を残している。従って、大分楽に歩ける。雪景色が一番綺麗な筈の少広場に着いた。しかし余り美しく無い。樹木の雪は落ち切って、心細い裸の樹木は美しく無い。と我儘を云うのだから、この後のアセビの林の彷徨は、甘受して当然である。地蔵山ピークは遠かった、皆さんの七転八倒された様は容易に想像出来た。

どうやらアセビの林を振り切り、西向地蔵様にご対面、先行者のいい加減な雪払いの後を引継ぎ、お体がすっかり雪から出るように除雪をさせて頂いた。南無阿弥陀仏。三角点までのルートはアセビの上に続いていた。これは踏み抜くと腰までは埋まる。前方からキャーキャー、大分お若いおばさま方のパーティであった。三角点では、年配のパーティが愛宕山に向かって降って行かれるところであった。

先に行かせて頂き、至る所に残るアセビとの格闘を見て、おばあちゃん3人組は、雪で大変や!、と云いつつも、ここまでこれたら充分では無いか?、と思わざるを得ないパーティ等とも遭遇し、ジープ道まで辿り着いた。久し振りに股関節が痛い。


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