■ 播磨・植松山
・・・・2016年10月30日
2016.10.30

.今日もやはり宍粟50山の1つ、兵庫県4番目の標高を持つ「植松山」を歩いた。暗い杉の林を直線的に登るコンクリートの道を詰めると、道上に重機が見えた。バックで降るには辛いところであったから、カーブの少し膨らみのある場所でUターン、結果的には、標高450がスタート地点。件の重機は道を外れてお休み中、車の通行に差し障りはなかったものの、標高差800程を確保出来た事は、大いに尊重にされて良い。

コンクリート道を詰めると、綺麗なBMWが駐車中、泥濘の中、どうやって抜けたのだろう?。林道終点から、谷川に沿った確りした道が続く。谷川の水は、この時期としては、少々多過ぎるほど、うるさい程の瀬音を立てて流れ下る。しかし水は澄明、樹林越しに時々射し込む陽光に煌めいて、台高山脈辺りの沢ルートと見間違うほど。ところどころに深い淵を作って、夏場なら水垢離も可能だ。

とわ言え少し目線を挙げると相変わらずの人工林に違いない。谷ルートと尾根ルートの分岐、谷ルートはやや険しくて、尾根ルートは穏やか、と書かれていた。谷ルートから登頂し、尾根ルートで下山、これで周回が可能だ。やや険しい谷道は歩きやすく、何より、谷川の流れを見ながらの登りは、疲れが溜らない。陽射しが入ると別天地が見えて来る。

踏み跡が路を離れて急傾斜の岩場に向っている。大水による登山道損壊かも、と判断して踏み跡に従った。真新しい先行者の踏み跡も残っていて、ところがこの先は棘のある植物が多く、岩場を越えると踏み跡も疎ら、せり出した大岩が急傾斜の先にあった。谷川傍に戻るか、このまま尾根まで這い上がってしまうか。先ずは谷川に戻る事にして山腹をトラバース、出会った登山道は綺麗なもので続く路も快適、一体あの踏み跡は何だったろう?。

向いの山腹に、随分広いススキの原が覗いていた。小さい滝なら無数にある谷だが、唯一、名のある滝が出て来た。「小河内の滝」と書いた看板の側から谷に降りると、巨大な巌の間から、白く流れ落ちる滝があった。残念ながら、光の少ない滝は迫力が伝わらない。谷と樹林から見て13時頃には射し込む光もあるかもしれない。滝の巻道を登ると沢は静かな淀みを作っていた。光があれば水底の紅葉も、谷一面にその色を映しただろう。


谷を詰め、尾根あたりで植松山方面に右折だろうと思っていた路は、早々と谷と別れ、川と別れて暗いヒノキの樹林を真っ直ぐに昇って行く。残念だが路に従わざるを得ず、しかし長い、無味乾燥な登りが続く。真っ直ぐでなくとも良いわけで、適当にクネクネ、くの字を描いて登ること暫し、やっと光が見え、登山道を離れた尾根の上に、千島笹に隠れるように、誠に細やかな池があった。傍の板には「頂上の池」と書いてあった。登り始めから、案内の標識に「福海寺」の名が添えられていた。もしやその古刹と関係のある水場?、そういった施設には水は貴重だ。

斜度の緩んだ、尾根下の樹林の中を登ると何の前ぶれも無く、ピークの広場に着いてしまった。植松山山頂標柱を取り巻き、8人の方々が食事中、標柱のすぐ下に、これまた細やかな、鉄で拵えた「福海寺」があったのだ。嘗てここには実物大の寺があって、それを偲んでこの寺を置いたのだ。南東に展望のある草地に移動、暖かい陽光を一杯に浴びながら昼食休息、側には蕾も着けたリンドウが2株、寒くなっても蕾ほどは咲かせると書いてあった様に記憶している。

8名のパーティが去り、静かになった山頂に生温い風が吹く。降りは尾根コース、穏やかと形容されてはいたが、これを登るのは相当の苦痛が伴うだろうと思う。ススキの原は急斜面の右下に広がっていた。一汗かいて降った林道終点、何方の車であったかBMWは既に無く、とても8名が乗れるとは思われない。朝は見過ごした林道の脇に、小さな株の小さな花を着けたセンブリが群生していた。



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