■ 播磨・銅山
・・・・2016年10月22日
2016.10.23

揖保川の源流域に近いこの集落は、とても明るく、のんびりした家並と、屈託の無い人達の住む地域であった。道路脇の、未だ十分に育たない稲の傍で、アオダイショウに威嚇され、走って逃げたのもここが始めてだった。20年たった倉床は、過疎に悩む、杉の木だけが生い茂る、光の少ない集落に変わっていた。お爺さんの住んだ家は、もう影も形も無い。

人気の無い集落を抜け、廃墟と化した家のまえに広場があった。車はここまでで、生茂る杉の林で暗い道を歩くとキャンプ場があった。キャンプ場を埋め尽くす夏草、時を止めた全ての施設、何をどう間違えるとこんな事になるのだろう。この山には、鉱山関係者の住んだ廃村が在るという。水の多い綺麗な流れに沿った道が続く。

左手の山際の斜面に、取り残された墓石があった。よく見ると、1つ2つでは無い、かなりの数の墓石が残り、真っ直ぐ立つものもあれば、辛うじて立ったものや倒れたものもあって、戒名を読むと、普通の人らしく無いものが多い。形状から云うと仏門の方々ではないし、立っている場所が奇妙なので、まるで集落入口を監視する門番のようにも見える。佇んで見下す亡霊が見えたとしても、一向に不思議ではない。

すぐ先の川の二股に、寺院らしいかなり大きい遺跡があった。登山口の案内もあって、周回するつもりだからもっと上を目指す。次に見えて来たのは精錬した鉱石の滓を積み上げた広場、コンクリートで脇を固めた作りで、近代の物だ。廃村も有るとの事であったが、鉱山施設を除くと廃村は残らない。鈴鹿ほどの規模ではないのか、そんな平地も無い。坑道の入口は鉄条網を巡らし、見学は出来ない。目立つのは、鉱山関係の施設より、山腹の崩壊の痕跡であった。

山の端が迫ると川の流れも緩やかに、辺りも開けて明るくなった。登山口の案内に従い、川を渡って作業道を歩いた。登山道は、作業道を嫌って山腹に続いている。ルートを開いた人達のこだわりだろう。作業道とは付かず離れず、出逢う度にトラロープの助けを借りて山腹に続く登山道を歩いた。明るい林床には、キッコウハグマが小さい花を咲かせていた。思いの外長い道程を経て、やっと主尾根に登り、ところがこれを相当に降って、登り返してやっと銅山ピーク、杉の林で暗い山頂、おまけに冷たい西の風が強く、気温は7度で寒い。

先へ進むと、立派な看板を付けたサロンパスの木があった。この辺りから落葉樹が中心の植生になり、残念ながら二次林で、原生林の趣は無い。意図して残したのか、ミズナラの大木は未だ生きていた。風を避けた北側の落葉の上で食事休息、紅葉を待たずに葉を落とした木々が多い。秋仕様の山支度では身体が冷える、早々に切り上げて尾根降り、綺麗な山腹に、花を落したナツエビネが数株。嘗ての賑わいを語る何の痕跡も見当たらない大路峠は寂しかった。北側の急斜面に続く踏み跡は消え、風に靡く枯れたイワヒメワラビが覆っていた。

峠から、手入れの悪い暗い杉の林を降って林道に出た。揖保川源流の看板はあったが、そこに残る古い石組みが物語る人の生活跡は印象に残る。予想より長い林道を降ると寺跡に出て、道の上から見下す、奇妙な墓石群に別れを告げ、駐車地に戻ったのは16時で、そろそろ山は暗くなる時間だ。


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