仏主のいつもの駐車地に着くとどうも様子が違うように思う。何故だろう?、と辺りを見回して気が付いた。至るところに幟が立ち、それには、丹波高原国定公園指定記念、等と書かれた幟だ。思い当たるところが無い訳では無いが、丹波高原とは、具体的にはどの辺りを指すのか、丹波と一口に言ってもどの辺りの高原を言うのか不明である。
ここに立てられたからには長老ヶ岳が含まれる事には間違い無い。芦生辺りは早くから囁かれた事であったからこれも間違いない。しかし地形から言って高原とは言えそうにないから本命の高原は別途あるものだと思われる。それは何処?。この暑い中の先行者の車はそうした賑わいを知ってか知らずか。歩きだしで直ぐの水源地の前にも車が1台。キャンプ場への舗装路を歩き始めて直ぐ、新たな車が水源地の前に止まった。中から出てきたお若いお方の服装は?、水源地の保守要員であった。
風の少ない道は暑い。少ないどころかそよ風程も届かない舗装路に陽射しが溢れる。標高差200程も稼いでやっと風が抜ける尾根辺りに出た。溢れる汗を拭きつつ見下す仏主の集落に車が1台、他に動くものが無い。キャンプ場管理棟の前で、柵に腰掛けて大休止、冷たい風が抜けここだけは涼しい。目の前の幟も時に勢い良くはためく。今年の山の作況は未だ良くは判らない、が目の前のヤマボウシには、勢いの良い禿頭の実が沢山、空に向かって背伸びをしている。
下の方で車のエンジン音とざわめきが起こり、間もなく、1台の車が到着し5人のおっちゃんが現れた。一様に、長老まで3.5キロの距離に驚いている。ここまで車で登って横着な人達だ、と思われているだろうと思ったのか、極め付きの速さで登山道に消えて行った。その通りである。山腹に木霊する声も聞こえ無くなって、さあボチボチ行こうかな。
乾いた汗は再び溢れ、緑のトンネルの中は賑やかだった。顔の前を掠めて飛ぶ命知らず、耳の傍を離れない一点集中型、の虫などなど。彼らとの争いは好むところでは無い。そもそも、嘗ては少し高所に赴けば彼らの姿は極端に減ったものであった。ところがこの十年、山深いこんなところでも、下界より寧ろ濃密で元気に見える。だとすれば、焦熱地獄の下界から高地に、主力を移しつつあるとも考えられる。
彼らとの相克は避けて通れない。汗だくになって着いた尾根にも風が無い。登山道は尾根芯の南側に付けられ、風は北から吹き下ろす。一点だけ、北側に開けた場所があった。抜ける風に冷気が混じり、飛び交う羽虫を押し流す程度に強く、椅子代わりの石に腰を降ろすと眠気を催す程度に心地良い風の抜ける、謂わば理想的な避暑地であった。南中時の太陽は旺盛な葉叢で見えない。
少々長居し過ぎた身体はすっかり冷えた積りであった。ピーク目指して歩き出した南向きの尾根は、そんな軟弱者を汗まみれにするのに、ほんの数分で事足りた。東屋の蜂の巣は除去されたままであったが、飛び回る彼らの力強い羽音は、秋までの再興を約束するかの様であった。背の高い樹林に入り、上乙見の出合付近で降りのご夫婦と出会った。隣の車で来られたそうだ。
平坦な尾根歩きが終わり、斜度のある杉の植林地に入ると暑さは愈々暴力的の度を増した様で、もう汗を拭くのも面倒であったが、先の5人組が下山して来られ、汗の顔では面目が保てない。あくまで涼しい顔が必要で、余裕の顔で挨拶を交わした。その後は風の抜けるエリアを探して周回コースへ出た。別にピークに未練は無いのだ。
周回ルートの、美山方面に尾根が狭くなる所は風の通り道になる。思った通り、素晴らしい風が、下の方から吹き上がってくる。石に腰掛けてお昼ご飯、暫く休む間に唇は紫色、やや冷えすぎた感がある。既に無人だと思っていたピークから、ソロの男性が降って来た。水源地横の車の主に間違い無い。樹林に半ば隠れた道も、降るに伴い暑くなり、冷えすぎた等と禁句を口にした罰か、いつか服はやっぱり汗で濡れる運命。ビッシリ着いた栗の実のこぼれた1つが、下りの無聊を慰めてくれるお供であった。
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