■ 丹波・妙高山
・・・・2016年05月29日
2016.5.29

【写真右下の沢山の棒状の小枝は、山の神へお参りした方々の残したもので、危難の際、鍵状の小枝の先で、山の神が救ってくださるとの伝承によるものだそうです。辺りの山々にはそうした危険な岩場が多数ありました】

妙高山、仏教で云うところの世界の中心「須弥山」の別名とある。春日辺りの山々で、世界の中心となるほど立派な山とはどんな山だろう?、少なくとも標高では500を僅かに超える山ばかりで、特徴と云えば露岩、岩場の露出した厳しい山腹位が念頭を掠める程度だ。

春日を降りると直ぐに右折、日ヶ奥渓谷への案内では、高速の側道を行けと云う。道は一車線で側溝まであって、上り坂では対向車は見えず、もっとも対向車が来ても避けるところも無いからどちらかがバックする事になる。そんな時は拝み倒すに限るのだが、この道の状況ではそうなってみないと何とも云えない。

兎に角アップダウンの激しい細い道が続いた。日ヶ奥渓谷の看板が出てくると道幅は広くなった。何だ、此方の道は広いんだ。後で知った事だが、この道を進むと何れ人家の側の細い道に詰り、軽の切り返して路地を回る様子を見て、これは不味いと戻らざるを得なかった。

キャンプ場までの道だけは安心しても大丈夫、駐車場は有料ではあるらしいが、徴収の方が不在で、一番奥の木陰に車を止め、見上げた樹間から覗く空は美しい紺碧であった。目の前に未舗装の林道が続き、よもや林道歩きは無いから沢に沿った道があるだろうと、無人のキャンプ場に降りてみたが遊歩道は直ぐ前の滝の下で呆気なく終わり、ならば林道を歩くまで、ところがこれが、沢風は涼しいし木陰が出来て、頗る快適な散策路であった。

直ぐに山の神の祠に出会い、一期一会の挨拶などしている間に汗は適度に溢れるから苦労が無い。日向は相当に暑いのだ。のんびり散策を続け、白竜の雄滝を横に見ながら、出来れば珍しい花の一つでもあれば文句無し。彼方此方から滲み出す小さな谷川のなせる技か、本流の水には絶えず濁りがあった。30分も歩くとどうやら流れも落ち着いて来て、濁りもなく清冽そのもの、道端に腰掛けて小休止、小さくなった流れの深みに潜むトラウトを探してみたが、そう容易くは見せても貰えない。

水際の、花びら3枚のコガクウツギらしい花を写し、暫く歩くと林道が尽きた。この峠は小峠と呼んだらしい。ここからは木々の鬱蒼と茂る暗い林に残る踏み跡を辿る。最近の踏み跡はほぼ無しに等しく、この先の様子が薄々想像できる。峠を境に反対に流れる谷川に掛かる半ば朽ちた木橋を越え、ジメジメした路を抜けると軽トラの轍の残る道に出て、最後に広い舗装路に出た。これを登ると、妙高山のある神池寺に出る。

神池寺の入口付近に、ごく細やかなクリンソウの保護地があった。有料の山門を抜けると本堂まで100段ばかりの階段があって、裏に登山口が続いている。薄暗い登山道にも踏み跡は無い、辺り一面、時代については何の知識も持っていないのだが、伽藍・僧坊としては極めて大規模な遺跡があった。現存する部分を合わせると、相当に立派な大寺院であったに違いない。

山頂まで25分と書いてあったが結構長い、山頂直下はややキツイ斜度などもあって少し疲れた。普通、山頂と云うと想像する属性の全く無い、祠があるだけの山頂についた。何時の間にか雲に覆われた空が、椎の木の間から覗いていた。山肌を吹き抜ける風が妙に冷たい。西に続く尾根を見て、地図を見て、ピストンの他に選択肢が無いことを確認した。少しだけならショートカットが出来る筈だ。

まずは、案内標識に従い本堂に降るコースを歩き、道を失い伽藍跡から登山道に出た。これで少しショートカット、本堂裏を直進し、枝垂れ桜の広場の先から左に折れ、枯れ松が路を塞ぐ廃道を抜けて谷川までショートカット。小峠に戻ると雨粒が来た。林道はやはり明るく、序に白竜の滝を下から見上げ、未だ人の残るバンガロー等を見学して車に戻った。戻ると直ぐに雨が追いかけて来た。


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