一番低い中央分水嶺だと云う「水別れ公園」の臨時駐車場に車を置いて、暫く歩くと道は直ぐにダートに変わり、急斜面の一角を指して登山道の標識があった。見上げる様な山腹に、急な、踏み跡も薄いくの字があって、歩き出してすぐの事だから、体の用意も未だ出来ていない。痛い腰には効果も期待出来るかもしれないのだが、標高にして600足らずの山にしては不届きな迎え方をしてくれる。
踏み跡の薄い訳は急勾配の山腹を覆う落ち葉、直ぐ上方には長々と続くトラロープ、直ぐに見えてくる筈の尾根は遙かに樹林に隠れて見えて来ない。駐車場の標高は100、直ぐ上の尾根は300、高々200の斜面にしては生意気だ。
やっと登りきって、それ見た事か、この程度は朝飯前で、しかし朝飯は既に済ませた。仕方ない、滴る玉の汗を拭いて次は何?。情報によれば2の峰に辿り着いた筈、緩くなった勾配を登ると3の峰に着いた。2の峰の次が3の峰、次は4の峰だと云うと、これはもしや黒井城の出城か砦の名残ではないか?、2の曲輪、3の曲輪の別称ではないか?、黒井城、別名保月城等と優美な名を持った城跡が直ぐ北側にある。
そこを守る出城と考えれば得心がいく。3の峰から展望岩を経て山腹を巻く辺りに、半ば埋れた小さいが確りした石組みがあった。これは間違い無い。更に4の峰まで進むと、山頂は1mばかりの人工的な平坦地に取り巻かれ、北に黒井城址が位置して、少なくとも偵察業務は充分に果たせたものと想われる。
黒井城に近付く敵を後方から挟撃するには売って付け、水別れ公園の線路を挟んだ向いの小山に山城らしいものが見えたが、彼処では敵の襲撃に対応出来まい。そういった事を想いつつ、後で知った古墳群を見逃してしまった、残念だ。4の峰を越えると愈々次は本命向い山、あたりを覆うヒカゲツツジの蕾に混じり、一部の気の早いミツバツツジが花を咲かせていた。北風は冷たく気温は6度程度だ。
本命向い山は杉木立の中で暗い、戦国の世の名残も無くそそくさと次の峯、北峰へ移動、それにしても黒井城が良く見える。もうこれで抵抗の兆しもなくなった筈、と思っていると案外に諦めが悪い。次の峯まで多少のアップダウンが待っていた。多少、と云いながら、終いにこれが効いてくる。
北峰で少々休息を入れ、昼食等を摂ってのち、寒くなったので先を急ぐ。次は蛙子峯等と巫山戯た峯が待っているらしい。その前にまたアップダウン、岩場等を巻くなどし、蛙子峯に着いて見れば面白いものは何も無い、お巫山戯が過ぎよう。
次は少々まともな清水山が待っている、と思っていると二股に出て、運を天に任せて右ルート、無事に駐車地に戻るべく、清水山は諦めた、と思っていたところ、次の二股でやっぱり清水山の名が出てくる。そこまで招待する気満々なら行かないでも無い、地図を見ても大して離れる事も無いようだから、招待されて行っても見よう。
別れて直ぐ、山抜けの為、途は不鮮明な踏み跡がガレ場の斜面を横切り縁を拾って続いていた。あとは植林の味気無い風景ばかり、今日何度目かのアップを強要されて、反射板の残る清水山に着いた。しかし地名の由来は知らないが、清水にまつわる何も無い、酷く乾燥した小山があるだけで、これは詐欺の類だ。
降り途に沿って、亀やらイルカやら等々の岩があったが、イルカ等は、どう見ても口を開けたワニで、おまけを付けてもイルカでは無かった。(写真にすると、フリッパーに見えなくもないかな)
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