■ 丹波・西光寺山
・・・・2016年02月28日
2016.2.28

今田町本庄の交差点を少しだけ北上、斎場の手前を左折すると西光寺山登山口、墓の駐車場には10台程の先行車があった。止めようとすると不審そうな眼差しが気になる。それでも先ずは止めさせて頂いて、さて何でしょう?。近所の人らしい男性が近付いて来て、許可は持ってるの?、この沢山の車は何?、と聞いてくる。いや〜知りませんし、許可もありません、西光寺山の登山口だと聞いて来たんですが〜。追い払われては叶わないので、山の話だけをしてみると、案外とスンナリ機嫌は戻って、気色ばった顔には笑みさえ漏れる。

金鶏の話等も出て来て、迷ったら大きな声で呼んでくれ!、山麓に家があるから聞こえるやろ〜、お帰りになる時も車を停めて、お気を付けて!。金鶏とは、西光寺山に隠されたと云う金の鶏の伝説の事で、今でも探しているとの事だった。俄には信じ難いが、本人がそう語るのだから、道中は出来るだけ気を付けている事としよう。金の鶏サイズの金塊とすると、1億の金塊があれだけだから、約数倍か。

林道を進むと綺麗な青い水を湛えた池があった。水鳥の姿は無い、水が澄明に過ぎて水草等は育たないのだ。左の山裾は売りに出されていて、大方バブルの頃の遺産だと思われる。橋を渡るとサギソウ自生地0.1キロの案内板、何処やねん?、復路で発見した自生地は真に狭小な湿地であった。勿論この時期に花等は無い。

東屋が出て来て途は二分、左は降りで使う積りだ。右に進んで暫くすると林道の終点、本格的な山途が続いている。暫く谷川に沿って歩き、現役らしい2基の炭焼窯から斜度が出て来た。低いとは言え700メートルの山に僅か1キロばかりの道程で登るのだから相応の斜度はある。

山腹を登りながら、どうも山の雰囲気が違うのに気が付いた。この辺りの山では見た記憶の無い、ウバメガシが多いのだ。多いと云うより、ウバメガシが中心の植生を構成している。その所為なのか、真っ直ぐに伸びたヤブツバキ等の木肌はとても綺麗で、ヤブ山に多いリョウブ等は遂に見なかった。山の東側斜面の登山道は今日はとても暑かった。微風の届く木陰で休むとヒンヤリした空気が今日は気持が良く、2月の終わりである事をすっかり忘却していた。

金鶏の事も忘れていた訳では無い、斜度の緩む辺り、登山道と直交する山腹に残る道状の帯、はたしてあれは捜索の痕跡だろうか。気にして観ると、結構多いのに驚いた。長い歳月を要してなお見つからない物が、登山道周辺をキョロキョロしたくらいで見つかろう筈は無い。斜度が緩んで来ると尾根に出た、尾根から西側山腹は杉の植林地で伝説の風情も何も、一瞬で消えてしまった。

細い尾根を北に歩くと露出した岩場が2箇所、こんなに細い尾根上の寺跡は想像するさえ難しい、と考えていたところへ東屋とささやかな祠、用を為さないほど破損した展望マップ、これが山頂の全てであった。あとお爺さんがお一人、東条湖辺りにお住いとか、かなり長距離の尾根歩きをされたらしい。吹く冷たい西風で汗に濡れた身体は寒い。少し戻った露岩の上でエネルギー補給、岩は温まってそこだけ温かい。

尾根を南に降って周回コースとなる踏み跡を探した。西光寺跡はこの先に有るらしい、行っては見たいが次回に回す。前方の672のピークには巻道があった、当然使わせて頂いて、さて降りの途は?、有るにはあったが踏み跡は殆ど無い、先ず廃道と考えて良いだろう位の途である。しかし国土地理院の地図には明記された途だ。

途中までは尾根心をほぼ忠実に降り、途中不明瞭な場所を除いて道型の確り残る古い途だ、相当古くから使われた道である事は間違い無い。然し、途中からは藪に呑まれ、汗の滴る藪漕ぎを30分ほど、建物跡を最後に、よりハッキリした道に出て、廃寺に続く、最近のコースを知った。降ってきたコースは侵入禁止コースとなっていた。


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