洞川は、今を去ること1300年の昔から、山岳宗教の台頭にあわせて栄えてきた集落である。山伏に似て非なる人々も数多く流入し、食い詰め者も多く居たそうである。であるから、これを相手にした人々の処世術は、伊勢参りで栄えた宇治山田や、宮島参りで栄えた広島西部の人々と、相通ずるものがあり、時には、人が悪い、といった表現にもなるらしい。
故に、洞川は敬して近づかないようにしている処でもある。久しぶりの、禁を犯しての稲村ガ岳である。洞川の駐車場に着くまでにも、早朝から、何とか茶屋では大勢のお参り客と遭遇した。その後もぞくぞくと、大形の観光バスや乗用車で、一番奥に有る山上ケ岳登山口に向かって狭い道を登っていく。
駐車場は洞川の入り口に当たり、レンゲ辻へ向かうには、集落を通り抜け、稲村ガ岳への登山道である母公堂の前を抜け、女人禁制の赤い橋を横手に見て、人気の無くなった林道をひたすら登り、結局6km位は歩いたことになる。山上ケ岳の賑わいは、全くここにはない。林道終点からいきなり急斜面の梯子が続く。梯子を上ると割合に楽な道が、谷に沿って登っている。谷といっても昼でも暗い、深く険しい谷である。
道は随分良くなった。嘗ては踏み跡もあるかないかの状態で、谷から急斜面に掛かる辺りから、道と呼べるものは殆ど発見できない程であった。濡れた大岩の傍に、アジサイに似た白い花が点々とある。調べた結果ギンバイソウと云うらしい。光が無い中で見たギンバイソウは、あまり良い気持ちの花ではなく、同じく色素のない花であるギンリョウソウと良く似ている。
沢を渡渉する手前で、押し黙った下りの男性とすれ違った。このあとは右岸の谷をへつるように道があり、見上げると数十メートルもある垂直の岩壁が続いている。無風で湿度も高く、立ち止まると熱気が酷く応える。斜度が厳しくなると踏み跡は左右に大きく蛇行して続いている。下草が生えた所為か、崩壊した岩だらけの谷が随分明るくなった。
大きなサワグルミが林立するなか、見上げた山の端に漸く光が見えた。小鳥のさえずりが賑やかになると、山上ケ岳への登りで、女人結界門の直ぐ脇に上り着く。狭い肩にザックを置いて小休止。神童子谷の険しい岩肌を駆け上ってくる風が涼しい。岩峰を登ると山上ケ岳、細い尾根を辿ると稲村ガ岳である。
薄日が出ると暑い。尾根直ぐ下の西側斜面の岩場を穿って道が続いている。穿ったのはいつの人であるか知る由もないが、大変な労力である。水の染み出した岩場には、シモツケソウや彼方此方に色鮮やかなヤマアジサイが咲き、ちょうど今が見頃であった。道が尾根を越え東側斜面に出たところで昼食。今日は名物、柿の葉寿司である。一本持ってきたビールが旨い。
食べ終わる頃には身体も冷え、遠くの西の空では雷鳴が轟いている。雨もぱらぱら落ちてきた樹林越に、大日山の独特の山容が伺える。これにたいして稲村ガ岳の展望台の山頂はいけない。山頂を木製の展望台が覆っており、折角の大峰山脈の景観が、すっかり台無しになったように思うのである。
無人の稲村小屋は発電機の音だけが響いていた。ここまで出会った人は一人だけ、となりの大峰山寺とは際立った違いである。ピークは当然諦めて、法力峠へ下山を開始、こちらも随分手入れが行き届いている。壊れそうな橋や梯子は全て新しいものと取り替えてあり、これなら少々お高い駐車料金でも致し方ない。
道傍には赤いタマゴタケがちらほら、好きな人なら持ち帰ったかもしれない。法力峠手前で、三人の妙齢のご婦人と出くわした。山上ケ岳への上り口駐車場で見かけた人である。今からレンゲ辻を回って降りるとなると、明るいうちに着けるかどうか。法力峠からは杉の林をひたすら下り、最後は妙なところで道に出た。
洞川の繁華街では、横着な年配の団体さんが、浴衣姿で道一杯に広がって歩いている。そこへ雨が降り出した。雨の中でも彼らは怯まないのだ。温泉場での浴衣の雨は、旅の余興に過ぎないのである。
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