深山はずっとむかし、泥濘と前後に数多のハイカーに埋もれて、しぶしぶ登った記憶がある。辿り着いたピークには舗装路が通り、立派な観測施設と大鳥居と、ウンザリしたのは忘れられない。以来、剣尾山などから眺めるにつけ、無味乾燥な山として眺めるに止めていた。近くにある、輿山や掃雲峰のピークあたりは、魅力的な森や湿地、池などが残り、一時期は続けて訪ねた事もあった。
そんな山が有るにも拘わらず、深山に登ろうと思い立ったのは、ただ北側斜面を知らなかった事とお手軽であった事に尽きる。のみならず、大雨の中でも登って行く、多数の若者が見る光景を見たいと思った事も幾らか寄与したに違いない。流石にハイキングコースという訳にもいかず、ゴルフ場と輿山の肩からの登りだ。
左を見ると、廃道と化した荒れた道があった、見上げると深山のピークあたりの枯葉色のカヤトの稜線が見え、下手をするとピークあたりまで続く道かも知れない。崖下等は既に道とも呼べず、夥しい動物の足跡が残る。人は歩き辛いゴロゴロ石の廃道を歩き、鹿は歩き易い斜面下辺りの土の上に道を形成している。鹿の踏み跡の信頼に足る所以である。
谷の瀬音が響き、葉を落した林が嫌に美しく見えるところで道跡も消え、深い谷と目の前の急勾配の尾根がある。落葉に埋れた山腹の細い裸の枝先に赤いテープが道を示し、面白く遊びたい方々は何処にでもおられる。テープに沿って登ると尾根にはネットがあってこれ以上は進めない。右に振ってもやっぱりネット、ネットに沿って登ると道に出た。
ネットの中はかなり広い一面のカヤトの原、折しも陽射しがあって、汗の滲むのはカヤトの保温効果に依るところ、カヤトとは良いものだ。道を少し辿ると軽トラがある。途端にチェーンソーの爆音が静寂を破る。嫌だな、と思ったところへ薄い踏み跡、嘗て一面の笹原であった名残も残っていた。踏み跡を辿って良く踏まれた路に出て、ピーク方面に進むと観測所が見えた。ところへ鍬のよう物を担いだ子供とおばあさんが降ってくる、
ピークの観測所と鳥居は頂け無い、がここで寛ぐ二組のハイカーと冬枯れた北摂の眺望はまずまず、深山に這い上がる尾根等は興味深いものであった。降りに入って若者が数組、何が良くてこの山に登るのだろう?、季節柄もあって、低い空と低くうねるカヤトの大地は、漠とした広さの感じられるお手頃な場所に違いない。 |