府立青少年総合野外活動センターだっけ?、施設も巨大で名前も巨大、少々違うかも知れない、は数年前に営業停止したとか、確認したところ、立派な施設は藪に埋もれ始め、残された備品の類もそろそろ価値を失いつつあった。長らく剣尾山の山頂から見下ろしていた殷賑を極めるセンターは、実は蜃気楼、過去の記憶に過ぎない事が、前回判明した。
立派な制服の守衛さんが居たゲート横の建屋、荒れ果てた中に残る黒電話は往時を語る物証だ。入れない車の為に設けられた横の駐車場から歩き始め、営業はしなくとも府の所有であるから、管理人の居る管理棟の前を抜けて登山口に着いた。嘗て大勢の子供に追いかけられる中、剣尾山まで登った記憶がある。
車が登るから一般車両の侵入は必ずしも禁止ではない、車は直ぐ先の駐車地に止まって、どうやら目的は同じく剣尾山に登るらしい。暫くすると後ろに付けたのはソロの男性、しかし歩みは恐ろしく遅い。先ずは鞍部まで先に行こう、500年前の古道を使った道は山腹に乗り上げ、しかし古道は谷筋から山腹に続いている。
地図を見ると、古道は尾根を乗り越えそのまま谷を降って集落に伸びている。勿論その道もまた確り補修された状態で残ってはいた。センターが閉鎖になってからの整備ではないからこの先は荒れるのを俟つだけだ。件の男性は、極めて遅い歩みで追い越し、月峰寺目指して登って行かれた。
彼を見送って直ぐ、剣尾山の東側山裾の巻道、案内板には「イノシシコース」とあった、を進む。殆ど水平に作られたコースで、石切の名残なども残る良いコースだ。水の湧く辺りでは沢山の野鳥が集い、少々煩いほどキャーキャー、何がそんなに良いんだろう?。ほぼ水平ではあるようだが、若干下降傾向があるのか、見えて来た貯水池は余りに近い。
ウリハダカエデに埋まるあたりを抜け、苔の着いた石ゴロゴロの谷を抜けると道は途切れ、殆ど最後のお務めを果たす標識板によれば、剣尾山直登コースが続いている。無論降る事も可能なのだが、登るも降るも道型はほぼ無い。ゴロゴロ谷を登りだして直ぐ、詰まらないので都笹で明るい右の尾根に移った。風が強く、早朝の晴れ渡った空は一面の雲、西の風で一時的な冬型の気圧配置になったらしい。
尾根を登りながら右手に移ると登山道が現れた。剣尾山ピークの直ぐ西側に続くコースに間違い無い。今日の踏み跡は一つ、道には延々とセンブリの白い花が続き、谷の下方を二匹の鹿が余裕の体で横切って行く。巨岩が出てくると直ぐにピーク、進路を北に取って剣尾山を降る。
道なりに進めば横尾山、西にターンする所を続けて北へ降った。ここにもセンブリと回復してきた都笹、伸びやかな景観の広がる何とか山ピーク、山標識にあったが失念した、は風の通り道で何時も寒い。一枚重ねて更に降ると左るり渓、右センターの道しるべ、右手に進むと、杉林に隠れた第一キャンプ場であった。木のテントサイトに立って見るとその広さに驚いた。二人用テントだと6張り位が可能な広さだ。
立派な設備が延々と続き、覗いて見ては勿体無い、往時の賑わいを思い出しては溜息だけ。滅び無いものは無いとは云いながら、これを活かす方法は無いものか。取り残された宅地とは違い、これは公共の財産だ、草木に埋もれるようでは社会資本の充実等は覚束ない。公共等と云う舶来の理念の押し付けでは無く、個々の損失と考えれは自ずと良い知恵も出てこよう。そうした工夫が是非必要な時期である。
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