■ 京都西山・地蔵山
・・・・2014年12月29日
2015.1.4

R477の改修はやっと終わったらしく、国道通行止めの、物々しいバリケードはなくなっていた。余りの物々しさに、狭くて拡張の可能性も無さそうに見えるので、これは廃道になる事もあるだろうかと考えていた。

越畑目指して車を走らせていると、お爺さんの運転する日本の農村の名物、軽トラが対向してきた。お互いに止まるほども減速してやっと抜けられる程度の細い国道、補修箇所は越畑を少しばかり下った谷川に面した法面だ。これを補修する期間としては余りに長い。やる気を疑っても可笑しくは無い。

師走も押し迫った越畑は賑やかだった。路肩にも車があふれ、何時もの駐車地には地元車らしいのが二台、少し先まで進んで車を止め、仕度のあいだに女の子と犬が通った。犬の散歩には違いなかろうが、何やら慌ただしい様子でブツブツ言っている。犬はそんなご主人にあくまで忠実そうに、むしろ見ない様にして先を歩いていた。

集落の路地に出ると、水路を挟んでお爺さんとお婆さんが井戸端会議の最中であった。随分近くなった辺りで始めて気付いたもののように、お婆さんが一歩退いた恰好で通して頂いた。井戸端会議はなおも続くようであった。芦見用水が集落に顔を出すそばの家は、今では空き家になったのか、家の前の路は随分荒れてきた。以前はこの屋のお爺さんによる補修があったものだ。

以上が師走の集落の様子で、ここから先には林と時に鹿と、うまく行けばハイカーと出逢う事があるだけだ。しかしこのところ集落界隈の鹿は地元のお爺さんハンターに追いかけられてばかりいるから、のこのこ顔を出すかどうだか大いに疑問だ。崩壊地の巻道を過ぎた辺りの泥濘みに、今日のものと断定出来る足跡があった。雪の融け方から推して約一時間程度の差であろう。

峠に着いて一休み、先行者もそうしたらしい。地蔵山へのルートには、いないだろうと思った鹿の足跡も混じっていた。こうした図太い奴はきっと追っかけっ子に馴れたものに違いない。お爺さんたちも面白かろう、はあはあ息を弾ませたその顔は輝いていた。林に入って薄い雪が途を覆う。足跡が残るのは何とも言えない。案外これが、顔を出しそうな懈怠に効果がある。後続の方々にどう思われるか気になるのだ。

前後に人の気配無く、ミッションコーラの看板のあった小屋の前、今でも看板はあるのだが、随分荒廃して面影も無い。枯れ松の倒木が多数あって、そのいずれかに傷つけられた鹿の死骸があった場所だ。既に腐敗臭も無く、どんな有様であったか確認する事にして、さて探せども痕跡が見当たらない。

範囲を拡げてみてもやっぱり何処にも無いのだ。どなたか奇特な方に荼毘にふされたか、若しや妖怪にでも化身したのか、そんな事は無いだろうと思うのだが痕跡は杳として知れない。探すのを諦めて歩く登山道に、整然と続く先行者の足跡、見ているとふと、何ものか後ろに迫ってくる様な気がしたが、な訳は無い。

延々と続く白い急坂に残る一つの足跡、負けられない。積雪は20センチ程でよく滑った。西向地蔵さんに挨拶して、見回した馬酔木の林に足跡が続いていた。先の方は直下降コースで降ったかも?、陽のあたる場所では雪どけが早い。三角点では足跡は3人分に増えて、何れも愛宕山に向かっていた。やはり今日は何とも会わなかった。


CGI-design