■ 台高・薊岳〜明神岳
・・・・2014年08月15日
2014.8.16

大又集落を抜けた水源地横の広場は、ガスが立ち込めて暗く、天気を占う事も出来ない。用意を整えつつ、薄明かりを待った。ほどなく、ガスが後退を始め、見る間に、杉の林の先に稜線が見えだし、空を覆う雲が見え、残念ながら朝焼けである。それでも、雲の切れ目には、まだ青味の射すほどでもない青空はあった。雨がきたらピストンしても良い。

薊岳へは笹の神社横に登山口がある。歩けば10分は必要で、その上行程は長い。地図を見れば、目の前の尾根を登れば相当の距離の短縮になり、鏡池の手前辺りで登山道に出会う筈だ。時間には余裕も有るし、それ程キツイ斜度でもない。登る人があるのか踏み跡らしいものがあり、獣道かも知れないのだが、鹿は信用が出来る。

登り始めると地図では拾え無い斜度が出てきて、薄暗い杉の林で1人ゼーゼー、少し斜度が緩むところでは鹿の親子連れに遭遇した。上には更に平坦な地形が続いている。真っ直ぐ登ると等高線の混んだ斜面に出るはずで、やや右寄りに登るのが良かったと記憶している。近頃は、地図といっても紙では無く電子データを使っていて、こいつは電池が切れると、ちょうど今の様に使えない。

地形は諳んじているから、少々の事で迷う様な事にはならないものの、巻くに巻けない地形があると体力を消耗させてしまう。植林地だけあって、作業道などがあってくれたら有り難い。平坦地に登ると、既に廃道と化したその作業道が残っていた。方位は真反対の左に続いていて、駐車地の直ぐ左に流れ落ちていた谷川の上流に続いているらしい。

山仕事に故意に厳しい道を作る筈も無く、相当使い込んだ様子から見て、山仕事だけの道では無いと判断した。何れは無事に山越えの出来る新ルートになるかも判らない。ところが、辿り始めて直に伐採現場に遭遇した。大きな木が幾重にも道を塞ぎ、乗り越える度に時間と体力を消耗する。

それでも道が続けば辿る積りであったが、崖を横断するところで数本の木が完全に道を塞いで巻く事も出来ない。出来なかった、ではなくて、これ以上のアルバイトが嫌になった、のが正しい理由だ。兎に角上を目指して斜面を登ると、暗い林の先に明るい森が見える。暗い林床の初めて見る虫を相手にするより、明るさは断然魅力があった。

明るい森の正体は、背の高くない、陽の差し込む杉の林と、掃除された灌木の枯れ葉色であった。かなり広い山林ではあるが、こうした間伐や下草の掃除は至る所で行われている、大変な仕事だ。がしかし、間伐材の放置は如何にも歩き辛く、自然に朽ち果てるまでの長い年月、寧ろ入山者を拒むのと変わるところが無い。それは後進の育成にも関わってきはしないか。

間伐材を取り超え、次の斜面に掛かろうとした矢先、窪地の底からサラサラ、相当の水の流れる音がする。これは確かめる必要があり、登り返しを覚悟の上で、音のする方へ降りてみた。川の長さ凡そ2メートル、かなりの勢いで湧き出した水は、ほんの少しだけ空気に触れ、直後にまた地中に消えていく。あたりには霧が漂い、水は冷たい。

登り返しは辛かった。バクバクする心蔵に手を当てて、激しい鼓動に今更ながら驚くと同時に、人の頑健な事には感心した。結局、短縮どころか時間も1時間程もオーバーして、正規の登山道に合流した。かなりの体力を消耗、へたり込んで、少々長めの一服タイム、風の流れて来る先の、小さなブナには記憶があった。小さいとは言え、随分大きくなって、10年ほど前の記憶であるから、樹齢は10数年、枯死するとばかり思っていたが立派に活きて成長していた。

さてこちらも無い元気を振り絞り鏡池、尾根に出てから良い風の吹く岩尾根辺りで大休止する予定だ。台高山脈への眺望が開けて再びガスが出始めた。陽射しは無くても雨程は、雨は降っても雷だけは来てくれるな。岩尾根に立つと天候だけが気に掛かる。無人の薊岳ピークを過ぎても休む気になれない。

前山への登り返しの手前で空には青空も覗き、やや平和を取り戻しつつある。風も涼しいし、ここらで一服入れて大休止、エネルギーも補充したい。ここまで、至る所で倒木や折れた比較的大きな枝をみた。林床には緑の葉が散乱してまるで大嵐の後の様であった。思い返すと丁度1週間前は台風が来た。気が付いて辺りを見回すと、山腹に大雨の流れた痕跡があった。

最後のお努めであるこの前山、やっと上り詰め、見下ろした緑の大地を目の当たりにして、疲れの記憶が消えていく。川筋のルートから登ってきた単独の登山者が、ゆっくりと明神岳に向かっている。その上に、桧塚奥峰のピークが覗いているのを、初めて確認した。


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