雨上がりの空は暗く、不安を形にしたように集まり、離れて、騒々しく、そうした結果はとても温かい。数日の事とはいえ、少しだけ早い、早春の様子を見せた事になる。
二日ほど降った雨で、風邪もインフルエンザも、願わくば急性胃腸炎も綺麗に流して貰ったら、咲き始めた目の前の桜も、鮮やかな、見事な花を付ける事だろう。時ならぬ暖かな日射しの畦道に、まことに小さな葉を延ばすヨモギ、今週末には、雪に埋もれて春を待つ事になる。
雨のあがった金輪寺参詣道、時に吹く、風と同時に降り注ぐ雫、土手の緑のイワナシの葉に、蕾を探しても流石に早い、温暖化で死滅する事は考え難い、寧ろ、温暖化によって降雪の範囲が広がれば、規模によっては寒冷化のきっかけが生じる。これは怖い。
人は僅かな暖気で、呑気な事を考えるものだ、見守る植物のひとつだに、そのような阿呆は居ないだろう、植物の生き残る所以である。が然し、我々多細胞生物だっていつ、反乱に遭うのか知れやしない。そのような研究発表があったばかりだ。
特定の刺激を受けた細胞は、決定した様に見える運命、これは悲劇的ではある、を突然拒絶、新たな生への試みを主体的に始めると云う、恐るべき事実である。オレンジ程度の酸性といえば、奇しくも、韓国ソウルに降った雨と同程度だ。酸性雨を浴びながら歩く山道で、手足と云わず顔と云わず、細胞が反乱を起して独立を始めた結果、山道には、登山靴と服とザックと帽子が残った、等は、幽霊どころの話では無い。
辺り一面見下す樹木は、全身これ万能細胞を身に纏い、これを統御する術を心得ているに違いない。人は植物に、教えを請う時代に至ったと云える。枯れ葉を残す木は、全てイヌブナである。何でだろう?
一本持ったペットボトル、予測に反して喉が渇く、ピーク下では空になった。精度の見直しが必要だ。登山口の車の主は、五体満足で降って来られた。今日のところ、細胞の反乱は心配するレベルにないとみた。
人は雨を防ぐ事も出来よう、哺乳類は毛皮で防ぐ、鳥も同様、では裸の爬虫類はどうだろう?、酸性雨によるヘビやカエルの影響が、喧伝される様になって久しい。見た事も無い、新種の生物に遭遇したとしたら、それがカエルやヘビを離脱した、独立細胞の化身である事も否定出来まい。
まてよ!、雨後の、酸性雨の必要はあるが、水溜りの生物を観察したらどうだろう?、オタマジャクシ。旨く制御出来れば、新種生物の生みの親として、ノーベル賞は貰えるだろうか?、それとも新生物群の神にでもなろか。
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